この物語が、他人事じゃないと感じるあなたへ。

 

 

 

 
 

―――今の私は、どこまで私を生きているのだろう?

ふと、そんなことを思う。

別に今の生活に大きな不満があるわけでもない。
大病にかかっているわけでもない。仕事もある、友達もいる。
むしろ、うまくいっている方なのかもしれない。

でも、何か大切なものが欠けている気がする。

このまま今の延長線で毎日を重ねて、何年、何十年が過ぎてゆく。
それはそれで、きっと幸せなことなのだと思う。

でも。

なんだろう?この「もや」がかかったような感覚は。
心の底から「自分自身を生きている」と断言できない不完全燃焼感は。

当たり前だけれど、いつか私はこの世を離れる。
その時になって、「そこそこ幸せだった」とは言える気がする。

でも、「自分を100%生き切った」と、堂々と宣言できるか?
と問われたら、今は自信がない。

そんなことを言い切れる人は、ほとんどいないのかもしれない。
だから、それを望むこと自体が、贅沢なのかもしれない。

それでも、なぜか私の奥の奥の奥の方で、何かが叫んでいる。

「私を、生きさせて」

と。

今日も一日が終わる。
 
朝おきて、毎日のルーティンどおりに仕事をし、食事をする。
その合間には友人たちと少しやり取りをし、興味のあるものに触れる。
 
「充実している」と、言えなくもない。
 
ただ、本当に自分で「決めて」毎日を過ごしているかは、ものすごく曖昧だ。
私は「決めて」いるんじゃなくて、
ただ「選んで」いるだけなんじゃないか、って。
 
自分の生き方に、確固たる信念を持って積み重ねているのではなく、
仕事に遅れないことを「選んで」朝を起き、
仕事でも損をしない方を「選んで」立ち回り、
食事もいくつかの候補から「選んで」、ただ口に運び、
友人たちとのやり取りも、「私らしい」と受け入れられる対応を「選んで」いる。
 
それが嫌なわけでもない。
楽しさも、やりがいも感じることはある。
 
ただ、自分の中に根がないまま、
分岐点が来るたびに、その時の気分と損得勘定で行動している。
 
目的地をどこにするかも決めていないのに、
道が分かれるたびに、歩きやすさで進む方向を選んでいる感覚。
 
散歩なら、それでいいのかもしれない。
 
けれど、自分の人生がその連続だけで幕を閉じたら…
 
仮に私の人生が一本の映画だったとして、
今の筋書きのまま進んだら、私はそのエンドロールに
心からの感謝と感動を感じるだろうか?
 
あの連絡をしたのは、そんなことを思っていたタイミングだった。
 

それは、「ただ、なんとなく」としか説明できない行動だった。
でも今となっては、あの時にふと行動した私を褒めたい。
 
あの時、私はスマートフォンの画面で友人たちの名前を眺めていた。
しばらくスクロールして、ひとつの名前で指が止まる。
 
最後にやり取りをしたのは、いつだっただろう。
なぜか、その名前のところで止まる。
 
少し迷ってから、メッセージを短く打つ。
「久しぶり。元気?」
既読は、すぐについた。
「元気だよ」
それだけの、あっさりした返事。
「そっちは?」
しばらくすると、また短いメッセージが返ってきた。
そこから、少し近況を報告し合う。
 
少しやり取りを重ねるうちに、ふと違和感に気づく。
 
――こんな人だっただろうか?
 
前は、もう少し迷っていた気がする。
頻繁に連絡をしていた頃は、表面的な取り繕いと
内側のブレで揺らいでいたようなところがあった。
 
でも今は、それがない。
 
落ち着いている、というのとも違う。
自信がある、というのとも少し違う。
ただ、不思議なくらい何も滞っていない感じがする。
 
「最近、どう?」
私は何気なく聞いてみた。
 
少し間があいて、返事が来る。
「なんか、色々変わったかな」
あまりにも自然に返ってきた。
「いい方に?」
「うん、たぶん」
それだけ。
拍子抜けするくらい、あっさりしている。
 
「例えば?」
少しだけ踏み込んでみる。
今度は、少しだけ長い間があいたが、
そこからぽつりぽつりとメッセージが表示される。
 
「なんかさ」
「前は、こっちから動いてたんだけど」
「最近、向こうから来ることが増えたんだよね」
 
――向こうから?
 
「仕事とか?」
「それもある。あと人とか。しばらく連絡が途絶えてた人から急に連絡来たり」
いま、君から連絡が来ているみたいにね、と続く。
自慢している感じは、まったくない。
ただ、起きたことを、そのまま伝えているだけなのが分かる。
「そうなんだ」
としか返せない。
 
「なんか、やったの?」
少し迷ってから、送る。既読がついて、少し間があく。
「いや、特に何もしてないよ」
すぐに返ってきた。
 
――そんなわけがない。
 
でも、その言葉に嘘がある感じもしなかった。
「ただ」
と、もう一行届く。
「自分、っていう輪郭が、少しはっきりしたかな」
 
――輪郭。
 
そのひと言が、妙に引っかかった。
 

画面を見つめたまま、しばらく動けなくなる。
 
輪郭。
 
言葉の意味は分かる。
でも、それが何を指しているのかは、よく分からない。
ただ…分からないままなのに、どこかで分かってしまう感じがあった。
自分の中の、何かに触れている。そんな感覚。
 
「それって、どういうこと?」
気づけば、そう打っていた。
既読がついて、少し間があく。
しばらくして、返ってきたのは、短い一文だった。
 
「うまくは説明できないかな」
 
やっぱり、そうなる。
そう思いながらも、なぜかそれ以上、聞き返す気にはならなかった。
もう一度、通知が鳴る。
 
「まあ」
少しだけ間があって。
「行ってみれば、わかるよ」
 
――行ってみれば、わかる。
 
その言葉を見た瞬間、自分の中の何かが、うずいた気がした。
 
説明はされない。理屈もない。
ただ、行け、ということ。
 
普段なら、「選ぶか、選ばないか」を考えただろう。
でも今は――その言葉の前で、立ち止まっている。
 
画面を見つめたまま、しばらく動けなくなる。
 
輪郭。
 
その言葉と、今の自分の状態が静かに並ぶ。
私の胸の奥にある何者かは、得体のしれない「もや」で
輪郭を曖昧にしている。それなら…
 
しばらくして、指が動く。
「いつ?」
送信ボタンを押したあと、
ほんの少しだけ、胸の奥が動いた。
 

ほとんど何も説明されていない
文字だけ並んだ申し込み画面が送られてきた。
 
正直、勧めてくれた友人には
 
「何これ?」
「あやしいよ(笑)」
 
と何回かメッセージをした。
 
友人は「そうだよね。笑」と返してくる。
でも、それ以上のことは何も言わない。
 
「行った方がいいよ」とも、
「今のあなたに必要だと思う」とも言わない。
 
ただ「行けば分かるよ」と、もう一度だけ言われた。
 
友人は、いじわるで私に教えないような人ではない。
むしろ、以前だったら自分の体験したことを
分かりやすく、面白く、そしてこちらが満足するまで
話してくれるようなタイプだ。
 
それなのに、説明しようとしない。
説明すればするほど、それが実際にした体験と離れてゆくことを
躊躇しているかのように。
 
――なら、行ってみよう。
 
考えてみれば、私のこの「もや」の正体も、
説明しようとすればするほど、実際に感じているものとは
違うものになってしまうようなものだ。
 
山を登る体験は、山に行ってみないと分からない。
車を運転しなければ、ドライバーの気持ちにはなれない。
 
行ってみて、やってみることでしか、分からないことの方が
今の私には必要だという、ほのかな確信めいたものがあった。
 

当日を迎えていた。
 
講師は拍子抜けするほどフランクな人物だった。
 
ただ、その場にいると、少しだけ違うことに気づく。
 
講師が何かを教える、という感じではなかった。
 
新しい知識を入れるのが目的になっていない。
むしろ、今までの固定観念を大きく揺さぶられてゆく。
 
言葉で。
体感で。
景色で。
静寂で。
 
たった数時間前のことが、
はるか昔のようにも感じられてしまう感覚の中、
それだけのことが繰り返される。
 
今までの私ならば、
「これは一体、どういうことなのか?」
と、「答え」を探していただろう。
 
でも、そんなものとは根本的に違っていた。 
 
ごまかしが効かない。
言葉にすると、ずれる。
知らなかった、ではなく、見ようとしていなかった。
習得ではなく、思い出す感覚。
 
取り繕おうとすると、それが自分でも分かってしまう。
うまく話そうとするほど、何かが薄くなる。
 
代わりに。
 
うまく言えないままの言葉の方が、
なぜか、ちゃんと届く。 
不思議な感覚だった。
 
誰も責めない。求めてもいない。
 
それなのに、逃げられない。逃げたくない。 
自分から、目を逸らせない。
 
途中で、何度か言葉に詰まった。
何を言えばいいのか、分からなくなる。
 
でも、そうなればなるほど、
自分の奥の奥の奥が動き出していた。 
 
夜になった。ふと、何かが静かになった。
周りの音が消えたわけでもない。
時間が止まったわけでもない。
 
ただ、内側のざわつきが、すっと消えた。
 
何も足されていない。
何かを得た感じでもない。
 
でも、どこにも引っかかっていない感覚がある。
 
理由は分からない。
ただ、ただ「これでいい」と、どこかで分かっている。
いや、確信している。
 
それは、自信とは少し違う。
納得とも違う。もっと、静かなものだった。
 
その状態で、周りを見る。
 
同じ場所のはずだった。 
でも、明らかに違う。
 
「世界は、こんなだったのか…」
 
目に飛び込んでくる色。
聴こえてくる音。
肌に触れる空気の感覚。
 
すべてが、今までと同じであって、同じでない。
 
その時、はじめて分かった。
 
ああ。
 
友人が言っていた「輪郭」って、こういうことかもしれない。
 
説明はできない。
でも。確かに。ここにある。
 

あれから1カ月が過ぎた。

もう、何年も経っているような、懐かしい感覚を覚える。

帰って来てから起きたことを振り返れば、
もはや「懐かしい」と言ってもいいくらい、たくさんのことが起きた。

人との関わりが変わった。

思いもよらぬところから、新しい仕事が始まった。

新しい挑戦に誘われた。

そういえば、夜の眠りも深い。

自分から何か行動した意識はない。

ただ、会う人から「最近、何かあった?」と
不思議そうに言われることが増えた。

ただ、毎日を生きているだけで、
不思議な巡りあわせが起きている。

以前の私なら、見逃していたこと。拒否していたこと。
そんなことが自然と受け入れやすい形で
目の前に現れる。

何より、「これが自分なんだ」と、
肩肘を張らずに思えている。

そんな私に、世界の方が反応してやってくる。

不思議だけれど、当たり前。

まだ1カ月しか経っていないのに、
あの場所に行く前の私が、どうやって生きていたのかが
思い出しにくくなっている。

なぜ、以前の私は「選んで」ばかりいたのだろう?
ただ、ほんの少し立ち止まって、
自分の奥の声に耳を傾けるだけでよかったのに。

もちろん、これからも、私の目の前には
様々なことが起きるだろう。

でも大丈夫。

私の奥の奥の奥にいた私が、
ためらうことなく、自分の未来を指さすだろうから。

「進むのは、この道」

と。

私は、私を思い出した。
 
今の私は、私を生きている。