今まで様々な仕事をしてきたり、
あるいは学びの場に参加してきたりしている。
その中で、個人的に
「いい仕事だった」 「いい学びだった」
という時と、
「しまったぁぁあ~!!!」
という時とがある。当然っちゃー当然だ。
そして、
それは仕事の内容や、学びの質とは
別の要素もあることが分かったので
今回はそれをシェアしようと思う。
さて。
仕事にしても学びにしても、
最終的には「人」が決定要因。
どんなに売り上げが少なかろうと、
すでに知っていた学びが多かろうと、
組んだ人、学んだ人が素晴らしければ、
「よかった!」
と思える。
その後も人間関係は続くしね。
ただし、
素晴らしい人や実績のある人と
仕事で組んだり、学んだりしても、
「あちゃー」という時もある。(ワタシ調べ)
それが、一番上に書いた
「下心の含有率」である。
あくまでワタシの中で、なのだが
「この仕事は楽しそう!」とか、
「やりがいを感じそう!」とか、
「新しいことに挑戦できそう!」とか、
「純粋に興味がある!」といった時は、いい。
しかし、
「売り上げ的に儲かりそう」とか、
「この人とのコネクションを作れそう」とか、
「承認欲求を満たせそう」とか、
「コスパ、タイパがよさそう」とか、
そういう「本筋じゃない下心」を持つと、途端に濁る。
いや、もちろんそういった下心がゼロじゃないとダメ!
という話ではない。
そりゃあ、色々とニタニタしますよ、ええ(笑)
ただ、自分の中の感覚値で
そういった下心が半分以上だった場合、
あまり、いい結果に結びつかないことが多い。
期待しているのが
楽しい、やりがい、挑戦、興味といった「プロセス」ではなく、
売上、人脈、承認、パフォーマンスといった「結果」だからだ。
結果への過度な期待は、邪な思惑を招き、プロセスを淀ませる。
さらに、期待していた結果が手に入らなかった場合、
相手はまったく悪くないのに、ワタシが一人でガッカリする。
こんなことで、素晴らしい関係を構築なんて
できるはずがないのだ。
なので。
最近は、かなり興味のある仕事や学びの場でも、
自分の中の「下心の含有率」を心に問いかけ、
それが半分以上なら、一度距離を置くようにしている。
(全部は、できていないかもだけれど)
そして、
自分の下心のミトコンドリアが暴れないように、
「相手に対してできること」から始めようとしている。
(全部は、できていないかもだけれど ←二回目)
その方が自分が気持ちいいし、
実を結ばなくても、ガッカリもしないで済むからだ。
さてさて。
世の中には、素晴らしい人がたくさんいる。
そして、そんな人たちと仕事ができたり、
学ぶ場があることは、とてつもなく豊かなことだ。
だからこそ、
それを自分の我欲優先で濁すのは
気をつけようと思っている次第。
まぁ、そんなことを言いつつ、
たぶん、ワタシの我欲と下心は、
マリアナ海溝のように深いのだろうけれど。笑。
ではでは。
