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メンター、師匠、先生の違い。

「イグさん、たまにセミナーとかで
 ” メンター ” って言葉を使いますが、
 師匠とか先生と、どう違うんですか?」
 
というご質問をいただいた。
 
 
ああ、言われてみれば、ワタシの中でも
うすらぼんやりとしか分けてなかったな。
 
、、、ってことで、ワタシが思う
「メンター、師匠、先生の違い」
を書いてみようと思う。
 
ちなみに、あくまで「ワタシが思う」使い分けなので
一般的な解釈とは違うかもしれないので、
そこはあしからず。
 
 
さて。
 
 
まず、「メンター」。
 
これは、個人的には
「精神的な規範」になるのかな?と思う。
 
仕事、あるいは日々の営みの中で、
 
「これは、こうするといい」
「これがスタンダード」
 
という、「姿勢の基準値」を提示してくれる存在。
 
 
なので、いいメンターに出会うことができれば
その人の日々の姿勢や、
物事に対する向き合い方が変わる。
 
結果として、人生が前向きに変わっていくことに
なりやすい。
 
 
ただし、そうでもないメンターにつくと、
 
「これはまぁ、この程度でいいや」
「仕事って、こんなもんでしょ?」
「人間関係って、これくらいが普通でしょ?」
 
となり、結果として人生観がイマイチになる。
 
 
そして残念なことに、最初に出会ったメンターが
その人に与える影響は甚大。
 
なので、良きにしろ悪しきにしろ、
その「ファーストメンター」は本人の呪縛になる。
 
それを塗り替えるほどの素晴らしい
メンターに出会えた人は幸運。
 
そして、全人類の半数くらいの人は、
ファーストメンターは「親」で終わる人が多い。
 
まぁ、それも幸せっちゃー、幸せなのかもだが。
 
 
 
次。「師匠」。
 
師匠は、個人的には「技術的な規範」だと思う。
 
とある特定の技術・スキルにおいて、
(弟子からすると)抜きん出たレベルに到達していて、
それを互いの合意のもとで伝授する/される関係が
「師弟関係」ということになるだろう。
 
 
なので、極端な話、
師匠については人格的な素晴らしさが
付随しない場合もあるだろう。
(たいていは付随するけれど)
 
「人間的にはメチャクチャだけれど、
 この技術に関しては神の領域」
 
みたいな人も、師匠たりうる。
 
先生との違いは、「教えること」が前提にあること。
ここはあとでもう少し詳しく書こうと思う。
 
弟子が我が道を拓いていくことを喜ぶ師匠につくと幸せ。
自分のところに留まらせようと必死な師匠は醜い。
 
 
 
最後。「先生」。
 
こちらは「専門的先駆者」。なのかな?
 
ある分野において、一般的な人よりも探求していて、
知識や技術において経験や造詣が深い人。
 
 
師匠との違いは、必ずしも「教えること」が
セットではない、ということ。
 
たとえば、
弁護士、政治家、プロ棋士、漫画家さん、お医者さん等は
「先生」と呼ばれるが、自分の探求に生涯を捧げる人もいる。
 
お医者さんにかかった患者さん全員が、
そのお医者さんの生徒か?というと、そんなことはない。
 
なので、
「特定分野に対する知識や技術で
 多くの人々に貢献をしている人。の中で、
 尊敬を集めやすい分野に従事している人」
が、先生になり得るのかもしれないね。
 
 
さてさて。
 
他にも「教育者」とか「コーチ」とかもあるかもしれんが、
そこは今回は割愛。
 
 
最初に言ったけれど、あくまでワタシの分類なので、
他とは違っているかもなので、ご容赦を。
 
 
メンター、師匠、先生。
 
どれにも言えるけれど、
本当に素晴らしい人に出会ったのなら、
自分を変えるチャンスであることは間違いない。
 
もちろん、何を選択するかは自分が決めること。
 
その上で、何を選択するかが人生を決め、
中でもこれらの人たちの出会いは、
人生の質を(良くも悪くも)大きく変える可能性がある。
 
 
慎重に、でも勇気を持って
出会って行けるといいのかもしれないね。
 
出会いは選べない部分も多いけれど、
どう関わるか、どこまで影響を受けるかは、
いつも自分に選択権があるのだから。
 
 
これからも、私も、多くの出会いに
踏み込んでいければと思いますわ。
 
 
ではでは。
 

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