気持ちよく週末を過ごしたいみなさまに
毒のある記事をプレゼント(笑)
最近なぜか知らないけれど、
「私はみーんな大好き!ウフフ」
みたいなことを聞いたり読んだりすることが多い。
そう言う風に言っていた方が
好感度が上がるから言っているのか、
それともおバカさんなのか分からないが、個人的に
「みんな?は? ウソつけ!」
と思ってしまう。
というか、「好き」という言葉への理解が足りない。
なぜなら、
「好き」という言葉には、言外に
「~~と比較して」
という意味を含む。
だから、他に「好きじゃない」ものがなければ、
「好き」という感覚は生まれるはずがないのだ。
食べ物でも、
「しいたけは嫌いで、鶏肉が好き」
とか、
「麺類は全部好きだけれど、パスタは苦手」
とか、せめて
「ラーメンがとっても好きで、あとは普通」
みたいな感じなはずなのだ。
「好きじゃないもの」「それほどでもないもの」があって、
はじめて「好き」という言葉は意味をなす。
そう言う風に言うと、
「じゃあ、私は好な人と大好きな人しかいません」
とかいう、言葉を冒涜するようなことを言い出す奴もいるけれど
それもおかしい。
そんなのは、自分を詐欺にかけているような言葉のトリックで
そんな事を平気で言うようなやつは、
ゴーヤとからめてチャンプルーにしてやりたくなる。
たとえば、「食べ物」とか「音楽」という
細分化されたジャンルだったらあり得るだろうけれど、
自分と同種である人間に対して「全個体が好き」というのは
心理学上から見ても、非常に難しい。
そして、万が一、仮に「人という全個体が好き」なのであれば、
あえて
「みぃんな大好き」
みたいなことは、口に出すはずがないのだ。
だって、それがその人にとっては当たり前だから。
「私は、ひらがなが読めます」
「こうやってしゃべっている時は
私は息を吐いています」
みたいに、当たり前の事は、人はしゃべらない。
だから、
「私はみんな大好きです」
というのは、基本あり得ないと思っている。
ま、その「みんな」が、ある限定された狭いカテゴリーや
コミュニティを指す場合は、その限りでもないけど。
その場合は、見ている世界が狭い。
そんな時もあっていいけれどね。
で。
そんなヒネクレた考えを持つ私なので、その後
「じゃあ、なんでウソなのに
みんな好き、とか、のたまうんだろう?」
みたいに考えちゃうんだよね。
みんな好きなら、それでいいやん。
なにも、誰かにアピールしなくてもいいし、
フェイスブックとかで言わなくてもいいやん。
と思うんだけれど、
あえて「みんな好き」とアピールする人は、
ある「交換条件」が含まれているんだろうな、と思う。
その交換条件というのは
「私はみんなが好き。
だからみんな、私を好きでいてね」
あるいは
「私はみんなが好き。
だから、あなたは私を嫌ってはいけない」
みたいな交換条件。
それって、なかなか傲慢だなぁ、と思う。
こっちが取引するつもりないのに、
「これをやるから、お前も同価値のものを差し出せ」
って言っているんだぜ?
もちろん、そんなつもりじゃない人もいるかもしれない。
けれど、なぜか
「みんな大好き」
という人に限って、その目が恐怖と不安に濁っていたりもする。
なんでやろうね?
もう、正直に
「私には好きな人と普通の人と、嫌いな人がいます。
感情なので仕方ないですごめんなさい。
本音を言えば、誰からも好かれてたらいいな
とは思うけれど
私も誰かに嫌われたりするのは、
その人の感情なので仕方ないと思ってます」
って言った方が、楽じゃね?そんなことないの?
「好きな人はえこひいきするし、
嫌いな人とは、できる限り距離を置きます」
って開き直っちゃった方が、
かえって好きな人が集まってくるような気がするんだけれどな。
さて、本日、何を言いたいのか?というと、
特にオチはありません(笑)
ただ、
ただでさえ気を遣う場面が多い現代、
フェイスブックとかでも自分の心に嘘ついていたら
疲れませんか?
ということ。
本人も疲れるし、周りも気を遣っているのが分かって疲れる。
そんなの、大変じゃね?と思う。
これだけ多様な価値観が許されるようになった世の中、
「みんな好き」
と言っているのは、
「私にとって特別なものはなく、
あなたも、あなたも、あなたも全部普通です」
「無個性バンザイです」
と言っているようなもの。
もっと好き嫌いをハッキリした方が、
人生、楽しくなるぜ!
と、なんとなく言いたくなっただけ。
というわけで。
この記事を最後まで読んでくれたあなたへ。
大好きです。
読んでないやつは、知らん(笑)
ではでは。