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個人個人文化圏。

「あの人とは、どうも合わないなぁ」
 
「うまく付き合えないな」
 
という人って、まぁ、いるやろ?
 
 
でもその時に、心の中でその人を
個人攻撃しはじめちゃうと
けっこう、つらくなる。自分自身も。
 
 
なので、そんな時は、
 
「ああ、これが、あの人の ” 文化 ” なんだな」
 
と、大きく考えると、
まぁまぁどうでもよくなるよ。
 
 
 
たとえば、それぞれの国の文化ってあるやん?
 
 
日本の旅館では玄関で靴を脱いで、
それを自分で揃えないのが文化。
 
 
教会ではニ礼ニ拍手一礼をしないのが文化。
 
 
フィンガーボールのお水は
ガブ飲みしないのが文化。
 
 
日本では食べないものを
食べる文化圏もあるし、
 
日本では普通のことが
オーマイガッ!なこともたくさんある。
 
 
 
それは、どっちが素晴らしいとか
そういう話ではなく、
 
「文化の違い」
 
で、尊重すればいいと思うんだよね。
 
 
 
海外のホテルに行って
 
 
「私は入り口で靴を脱ぐ!」
 
 
って、フロントで裸足になって駆けだしても、
 
日本旅館で
 
 
「靴を脱ぐなんてありえない!」
 
 
って、畳を土足で駆け抜けても
愛のままにわがままに
僕は君だけがウルトラソウル!ヘイッ!
ってなっちゃう。
 
 
 
そう。
 
 
文化の違いってのは、
国でも、地域でも、会社組織でも、ある。
 
 
そして、個人個人も、
今まで培ってきたマイルールや考え方があり、
それは、いわゆる「文化」と捉えてもいいわけだ。
 
 
「あの人、本当に時間を守らない!」
 
っていうのも、
 
「あの人は、時間に対して
 のんびり捉える文化圏の人だ」
 
と思えばいいし、
 
 
「イヤミばっかり言う!」
 
ってのも、
 
「愛情表現の言葉が違う文化圏なんだな」
 
と、観光旅行みたいに捉えればいいと思う。
 
 
 
他にも、
 
「サラダは女子が
 取り分けることになっている文化圏」
  
とか、
 
「焼き鳥の串は、はずさない文化圏」
 
とか、
 
「お金を持っているのが偉い文化圏」
 
とか、
 
「自分のことをずっと話している文化圏」
 
とか、いろんな文化圏の人がいる。
 
 
その人個人、と思うとムカつくが
「そういう文化圏の人」と思うと、
多少は、やわらぐ。
 
 
 
で、
 
いろんな文化圏の人がいることを踏まえた上で、
自分が居心地のいい文化圏で過ごせばいい。
 
 
相手への興味と好意、信頼と尊敬が
自分の負担感よりも勝っていれば、
相手の文化圏に
 
「郷に入ったら郷に従う」
 
形で、体験してみるのも見分が広がるだろう。
 
 
 
でも、自分をずっと押し殺してまで
誰かの文化圏にいる必要はない。
 
 
世界は広い。多くの「文化」がある。
 
 
あなたに強制力を持つ文化はない。
それがたとえ、家族や、会社組織であっても。
 
 
 
多くの人と触れ、その人の「文化」を知り、
一緒にいたい人といる。
 
 
そして、違う「文化」の人を攻撃するのではなく、
 
「ああ、違う文化なんだね」
 
と、遠巻きに見るようにする。
 
 
すると、
なぜか自分も攻撃されることが少なくなる。
 
 
我慢や攻撃が、
なぜか外から強制や攻撃を呼び込む。
 
 
 
 
もちろん、すぐに、ガラリと今の生活を
全部変えるのは難しいかもしれない。
 
 
ただ、
 
「同じ文化圏の人といる」
 
「異なる文化圏の人を尊重する」
 
「相いれない文化圏の人に支配されず、否定もしない」
 
ことが、個人レベルでも、おそらく世界レベルでも
平和にもっとも近づく在り方だと思う。
 
 
 
「そんなこと言っても、
 現実問題、いろいろ起こるじゃないですか!?」
 
 
って思うだろうし、私もそう思う。
 
 
その上で、何かが起こるのは
きっと、好ましくない文化圏と
どこかで次元が重なっちゃっているんだろうな、
なんても思う。
 
 
次元が変われば、
きっとそれらは蒸発する。
 
少なくとも、自分自身の世界の中では。ね。
 
  
 
それぞれの文化を
尊重し合える仲間と一緒にいたいものですわ。
 
 
ではでは。
 

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