「イグさん、信頼できる人と
信頼できない人って、どう見分けるんですか?」
「で、どちらの人とも、お互いに気分を害さずに
気持ちよい距離感で付き合うには?」
というご質問を受けたので、
本日は、それについて個人的見解を。
さて。
いろいろな見分け方があるのかもしれないけれど、
個人的には、
「小さな約束を守るかどうか?」
が、もっとも大きいと思う。
「あ!忘れてた!」
「あ!うっかり!」
が多い人は、信頼関係を作るのが
非常に難しいと思う。
いや、忘れっぽいのは全然いいのだが、
こと「約束」に関して忘れる人は
個人的には信頼が難しい。
小さな約束、ってのは、例えば
待ち合わせ時間とか、
いつまでに連絡をする、だとか、
これ調べておくよ、とか、
やっておくね、とか、
小銭の貸し借りとか、
まぁ、そんなに大きな影響がないこと。
その約束に目くじらを立てて怒りだしたら、
「え?そんな小さなことで??」
と、約束を破られた方が
驚かれたり失笑を受けたりしちゃうような、
ほんのささいな約束。
でも。
そんなささいなことだからこそ。
腹を立てたらバカバカしいようなことだからこそ。
その約束を守るかどうかは、大切だと思うんだよね。
小さな約束を守れない人は、
大きな約束も守れないような気がしてしまうので。
いや、ケースバイケースだろうけれど、
概して、ね。
なので、ひとつは
「小さな約束を守る人かどうか?」
だと思う。
あとひとつは、
「寄るか?寄せるか?」かな?
たとえば、何かの悩みとかを相談したとする。
その時に、
相談者の話に耳を傾けて
「理解しようとする」
のが、「寄る」人。
そうではなくて、
相談者の意見を聞きながら、
自分の意見や経験を語り、
「理解させようとする」
のが、「寄せる」人。
相談者の立ち位置に自らが動こうとする人は「寄る」人。
相談者を自分の方に動かそうとする人は「寄せる」人。
相談を、
「相手の世界を知る機会」とする「寄る」人。
「自叙伝を語る機会」とする「寄せる」人。
わかっていただける?
で、これまたケースバイケースと関係性があるけど、
基本的には「寄る」人が、信頼に足る人間のように思う。
人によっては、相談もしてないのに
自分の自叙伝を語る人もいるけど、
まぁ、それも思考のクセだよね。
「寄る」人は、相手にフォーカスしよう、という
思考を重ねている人だから、
日常から他者も含めて考えている。
「寄せる」人は、自分フォーカスの世界に生きていて、
それを重ねている人だから、いざという時は
自分を最優先にする。
どちらが信頼できるか?だと、、、ねぇ?(笑)
そもそも論で、
「信頼できるか?」という問いは、
「その人と私の関係において、
どんな状況になっても私を大切にできるか?」
とも言いかえられる。極論だけど。
で、あるのならば、
それは日常のなにげない所に
にじみ出てくるように思うんだよね。
小さな約束とか、
寄るのか寄せるのか、とか。
もちろん、他の見方もあると思うので
一概には言えないと思うけれど、
そんな風に思うのでありんす。
そして。
「信頼できる人と、気持ちよく付き合う方法」
「信頼できにくい人と、気持ちよく付き合う方法」
は、実のところ、同じ。
相手に沿えばいい。
信頼できる人だと思うのであれば、
・その人との小さな約束も守るようにする。
守れなかった時は、それを謝る。
・その人が話してくれる時は、
自分に「寄せる」のではなく、
相手に「寄る」ことを、できる限り心がける。
とする。
そして、信頼しにくい相手だという評価を
下してしまったのであれば、
・その人とは、小さな約束も
できるかぎりしない。
したとしても、期待しない。
・その人に相談はしない。
理解されることは期待せずに
相手の自叙伝を楽しむ。
とすればいいんじゃないかな?
人間関係は固定化するものではなく、
常に変化してゆくものだから、
今、信頼できない人にも、冷たくする必要はない。
約束しても、破られる前提ですればいいし、
その人の自叙伝から学べばいい。
(余裕のある時は、ね)
で。
究極的には、
自分自身が信頼できる人になってゆけば、
信頼できる人が、割合的には増えてゆくと思う。
相手を信頼できるかどうか?とのぞきこんでいる時、
相手もまた、あなたをのぞきこんでいるのだ。笑。
質問の答えになってるかな?
ま、ワタシが信頼に足る人間かどうかは
完全に棚の上に置いているのだけどなっ!!
ではでは。