スポンサーリンク

心配という名の呪い。

以前、気功の師匠に
 
「誰かを心配するというのは、呪いだ」
 
という話を聞いたことがある。
 
 
心配している本人からすれば、
 
「まさか!
 相手の為を思っているのに!?」
 
と衝撃を受けるかもしれないけれど、
個人的には「なるほど!」と腑に落ちた。
 
 
心配、というのは、
相手にネガティブなことが起きることを
想定していないと、できない。
 
 
心配している本人が、
どこまで視覚化しているかは分からないけれど、
 
「相手が困っている、トラブルに合う」
 
というイメージを脳内で創り出しているからこそ
心配というものが生まれる。
 
 
相手がネガティブなことに遭遇することを
イメージしているのだから、
それは相手にとって、プラスのエネルギーを
送っていないというのは、当然のように思う。
 
 
 
「じゃあ、どうすればいいのですか?」
 
 
師匠から、はじめて
「心配は呪いである」という話を聞いた時、
自然と発した質問がこれ。
 
 
師匠は答えた。
 
 
「心配じゃなくて、応援すればいいんだよ」。
 
 
 
つまり。
 
 
相手がネガティブな状況になることを
イメージするのではなく、
 
相手が、さらなるハッピーな未来を
つかみ取るのを脳内にイメージする。
 
 
そうすれば、
相手はその事実を知っていようがいまいが、
プラスのエネルギーを浴びることになる、
とのことだった。
 
 
 
なるほどなぁ!
 
 
 
「心配しています」
 
と、
 
「応援しています」
 
は、両方とも相手のことを思いやっての行為。
 
 
でも、脳内でイメージしている映像は
真逆の未来なのかもしれない。
 
 
だとしたら、本当に相手のことを思うのであれば、
プラスのエネルギーをイメージした方が
(相手がそれを分からなかったとしても)
好影響がありそうだよね。
 
 
 
そんな意味からすると、
相手を思いやってのことなのに、
いつのまにか「呪い」になってしまっていることは
他にもありそうだ。
 
 
自分の意見に沿わせようとする時。
 
自分との関係性を考慮した上でのアドバイス。
 
相手をコントロールしようとするような態度。
 
 
そんな思いが、心のどこかにある時は、
たとえその意見に正当性があったとしても、
どこかで「呪い」になってしまう危険が
はらんでいるのかもしれない。
 
 
「呪」という字は、
 
「口」と「兄」からできている。
 
 
「兄」は、ざっくり「世話をするもの」の意。
 
口だけ達者に、相手をコントロールしようと
世話するのは、きっと「呪」になる。
 
 
 
そうではなく。
 
 
自分のことはひとまず置いておいて、
相手の本当の幸せを願い、
口だけでなく態度や行動を示す。
 
 
そんな心からのお世話になると、
 
「示す」「兄」となり、それは
 
 
「祝」
 
 
という、あり方になるんだろうね。
 
 
 
だから。
 
 
 
 
呪わず、祝おう。
 
 
心配するのでなく、応援しよう。
 
 
 
 
私自身、ついついやってしまいそうになるけど、
今年は特に気をつけていこうと思いますわ。
 
 
ではでは!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク