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感性とセンスの違いって?

しばらく前に、尊敬する仲の良い方から
 
「感性とセンスって、
 違うのは分かるんだけれど
 どう違うんだろうね?」
 
といった問いかけをもらった。
 
 
たしかに、
 
「え?英語と日本語の違いだけでしょ?」
 
では済まないような、不可思議な違いを感じる。
(のは、私と、問いかけてくれた方だけなのだろうか?)
 
 
 
なんとなく使い分けている。
 
でも、その明確なラインが、問いかけられるまで
ふわんふわんしていた。
 
 
問いかけられ、いろいろとウンウンうなった。
しかし、イマイチな答えばかり。
 
 
それが、考えるのを休めた瞬間。 
 
 
脳内にひとすじの流れ星が降ってきて、
それが花火のようにパァン!と開いた。
 
 
 
「あ、そか。
 感性は受信する力で、
 センスは発信する力だ」
 
 
 
ね?そう思わない?
 
 
「感性が鋭い」
 
「感性を磨く」
 
「感性が豊か」
 
 
それらは全部、
外部から自分にキャッチする力のように思う。
 
 
 
対して、
 
 
「センスあるね!」
 
「センスを発揮する」
 
「センス抜群!」
 
 
というのは、自分の中から何かの
「かたち」を出した時に、言われるように思うんだよね。
 
 
それが言葉でも、芸術的なものでも
仕事でもなんでも、発信しない限りは
「センスある!」も「センスゼロ」も評価されない。
 
発信してはじめてそれは「センス」と見られるように思う。
異論は、もちろん認める。
 
 
 
そして。
 
 
この「感性」と「センス」は、
お互いを補い合う、パートナーのような関係だと思う。
 
 
森羅万象に対して、
 
「感じよう」
 
と、意識を開く。
 
 
すると、今まで感じることのなかった
言い尽くせない何かが胸に飛び込んでくる。
 
 
それが「感性」だろう。
 
 
 
そして。
 
 
その「何か」が持っている情報量は膨大なので、
すべてを誰かに伝えることは難しい。
 
 
でも、その感じたことを
 
「伝えよう」
 
と、意識に方向性を持たせる。
 
 
すると、感じたものが削り取られて
あなただけの世界のフォーカスとなる。
 
 
それは、受け取った感性という原石を
どのようにカッティングするかという話で、
カッティングしだいで、美しくも、そうでなくもなる。
 
 
それが「センス」と呼ばれるものなのだと思う。
 
 
 
 
そう。
 
 
感性を開けば開くほど、
膨大なギフトが心に飛び込んできて、
豊かな原石を手に入れられる。
 
 
そして、その原石から
自由に彫刻を生み出してゆけばゆくほど
センスはどんどん発揮されてゆく。
 
 
こんなプラスのスパイラルが
どんどんと上昇気流に乗ってゆくんだろうね。
 
 
 
そして、おそらく。
 
 
その最初の一歩は、きっと
 
「感じよう」
 
と、心を開くこと。
 
 
心を閉じて休む時も必要だけれど、
あなたにとって安心な場では、
もっともっと心を開いていいのだと思う。
 
 
感じていいんだ、と
自分が自分に許可を出すこと。
 
 
それがあなたの感性を開き、
センスとなって世に放たれるようになるだろうから。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
あなたの感性は、今、何を受け取りますか?
 
 
あなたのセンスは、それをどうカッティングしますか?
 
 
あなただけの世界、また教えてくださいね。
 
 
 
ではでは。
 

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