同性にしても、異性にしても、
「強烈に分かり合える!」という
人間関係があると、ありがたい。
そんな人と人とのつながりが持てるだけで
豊かな気持ちになれるし、
人生そのものが彩られるだろう。
そして、そのような人間関係を持つためには、
どうやらコツがあるようだ。
なので、今回は、私が考えている
「強烈に分かり合える人と出会う方法」
を書いてみたいと思う。
さてさて。
ちょっと話が遠回りになるけれど、
お付き合いください。
例えば、ふだん街を歩いている時に
ちょっとすれ違う人に、
あなたは親密さを感じるだろうか?
その人が特別ステキな人だったりする場合は別として、
基本的には親密さを感じることはないだろう。
すれ違ったかどうかも、すぐに忘れてしまうのが
大抵の場合だと思う。
でも、
たとえば、シチュエーションが変わり、
あなたが海外旅行に行き、
しばらく日本人に会えなかったとする。
そんな折、たまたま日本人とすれ違ったら
あなたはどう感じるだろう?
なにか嬉しくなり、
「ちょっと、話しかけてみようか」
なんて気持ちにも、なるかもしれない。
では、
このケースの前者と後者では、何が違うのか?
もちろん、いろんな切り取り方は出来ると思うんだけれど
たぶん大きな要素の一つに
「日本人が、その場ではマイノリティだから」
ということがあると思う。
圧倒的多数の側には属さない自分。
そんな「マイノリティ」のシチュエーションにいる時に
同じ「マイノリティ」側の人に出会った。
この「レア感」が、相手に対する親密度を
上げていると思うんだけれど、どうだろう?
マイノリティの持つ、共有感というものが、
「分かり合えるよね」
という絆を生むんだと思う。
さて。
話が遠回りになったけれど、
これって、別に海外旅行中に会う日本人だけに
限った話じゃないと思うんだよね。
「この話って、あの人としか共有できない」
「このジャンルは、あの人しか分かってくれない」
「この感覚、絶対あの人じゃないと伝わらないわ」
という風に思われるためには、
明らかに「マイノリティ」に入らないとダメだろう。
そして、
色んな分野でマイノリティになればなるほど、
そこで出会う人数は、どんどん減っていくけれど、
その分、反比例して親密度はアップしていく。
「どんな場所にいても、合わせられる人」
というのは、たくさんの人と出会う事はできる。
でも、誰からも「たった一人の存在」とは選んでもらえない。
マジョリティでいる限り、
「その他大勢」の構成員の一人にしかすぎず、
誰とも、強烈に親しくはならない。
マジョリティから抜けるのは、
人によっては恐怖を伴うかもしれない。
もちろん、ずっとマジョリティに属して
その他大勢にまぎれて幸せをつかむのも、
悪い話ではない。
ただ、個人的には、
自分がマイノリティになろうとも、
「あの人、変わってるわー」
と後ろ指を指されようとも、
少数の人でもいいので、生きている実感を伴った
「分かり合える感」
を感じていたいんだよね。
たぶん、一生のうちで出会い、
話すことのできる人数は限られている。
その中で、予定調和の会話だけで終わって、
誰からも「その他大勢のうちの一人」と思われて
この世から旅立つのは、よしとしていない。
それよりも、
「圧倒的マイノリティ」
「理解者は限りなく少ない」
「でも、分かり合える人が何人かいる」
という状態を好む傾向があるみたいだわ。
不思議なもので、
自分がマイノリティの道を進むと、
どこからともなく、同じような「異端者」が集まってくる。
お互いの嗅覚なのか?
スタンド使い同士は引き合うのか?(分からない人はスルーしてください)
なぜか、「ずっと一人ぼっち」みたいな状況には
ならないんだよね。
なので、もし
「人数は少なくてもいいから、
分かり合える人と過ごしたい」
「でも、マイノリティになって、
本当に誰も現れなかったら、どうしよう?」
と迷っている人がいるのであれば、
ほんのちょっと勇気を持って、
「マイノリティのあなた」
を発信してみれば良いと思う。
思っているよりも、早く、
同じマイノリティを持っている「同志」が
かけつけてくれるだろうから。
ではでは。
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