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人にイラッとする、たった1つの原因。

誰かに対してイラッとするようなことが
あったとして。
 
たぶんその原因が相手にあることは
本当にまれ、だと思う。
 
 
たいていは、
自分の虫の居所が悪いか、
今まで知らなかった相手の側面を知っただけだ。
 
 
 
実のところ、人の本性は
さして変わることはない。
 
少なくとも、本人に何も大きな事件もないまま、
短い期間で変わることは、ありえない。
 
 
それよりも頻繁に変わるのは、
誰かを見ている自分の、
コロコロと転がる心もちだ。
 
 
その心から、相手への態度を変える。
それが相手に伝わり、相手が変わるのだ。
 
心が、写し鏡のように相手を変え、
そして現実を変えるのだ。
 
 
 
相手の言動が気に食わない。イラッとする。
 
 
でも、それは、いついかなる時も、
自分がどんなに上機嫌の時でも、
同じような言動を見た時に、イラッとしてきただろうか?
 
 
「リーダーシップがある」が「強引な人」へ。
 
「奔放な人」が「無責任」へ。
 
「大きな視野」が「上から目線」へ。
 
「つながりが広い」が「自慢たらしい」へ。
 
 
変わったのは、自分が相手を見る見方。
 
その人自身は何も変わっていないのだ。
  
 
 
もちろん、誰も何も変わらないわけじゃない。
 
相手も同じように、
コロコロと変わる心の中で日々を
生きているのだから。
 
 
なので、もし相手が本当に
変わってしまったのであれば。
 
それはその人が誰かの言動に反応し、
長い時間をかけて人との関係性を変え続け、
変容させてしまった結果なのだろう。
 
細い糸をより合わせて強い綱にするように、
その人が、あり方を変えていった。
  
 
その場合は、
相手の人間関係が、ガラリと変わっているはずだ。
 
あり方で、その人の周りにいる人は変わる。
因縁と境涯が、同じような人を呼び込む。
 
その人の周りにいる顔ぶれが変わっているのであれば、
その本人が変化している可能性が高い。
 
 
そうでないのならば、変わっているのは、
こちらの心もちの方、かもしれない。
 
 
あの人は、どうだろう?
 
 
 
「あの人のことが、本当にムカついて!」
 
同じようなことがあった時、
いつもまったく同じようにムカついていただろうか?
 
 
「あの人、本当に変わっちゃった」
 
その人に、もともとあった本性を知り、
そんな人だと思っていなかったのかも。
 
 
それすら、本人同士にしか分からないけれど。
 
 
 
 
さあ、
 
人と人は、関係性でできている。
 
 
ある人にとってイラッとする人が
別の人にとって頼りになる人になる。
 
 
あの時、イラッとした人が
この時、笑い合える人にもなる。
 
 
すべては関係性と心もちだ。
 
どの態度に、どう接するかだ。
 
 
 
 
でも、
 
少なくとも、
「変わったのは、あの人の方」と思う人生と、
「変わったのは、今の私の心」と思う人生。
 
 
どちらが反応的で、
どちらが主体的なのかは考えるまでもなく。
 
 
反応的に生きたいか。
主体的に生きたいか。
 
 
もし主体的な方を選ぶのであれば、
「主体的に生きる」を選ぶところから
始めるのがいいんだろうね。
 
 
 
今、穏やか?少し苛々しい?
 
 
相手が何も変わってないとして。
知らなかった相手を知ったとして。
 
自分の許容量こそが変化しているとして。
 
何を、どう選ぶと、
より良い未来になるだろう?
 
 
 
あなたが幸せでありますように。
 
 
 
ではでは。
 
 
 

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