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ミッションは、見つけない方が楽。

最近は(私の周りだけかもしれんが)
 
 
「自分の生まれてきた意味」
 
「ビジョン」
 
「ミッション」
 
 
みたいなことを探していたり、
自分のビジョンやミッションに向かって
進むのがカッコいいという風潮がある気がする。
 
 
 
それはとても素晴らしいことだし、できれば私も、
そんな風に自分のミッションに誠実に生きたいとも思う。
 
 
 
ただ、
 
 
自分のミッションやビジョンが見つかればハッピー!
 
それさえあれば、どんなこともワクワクに変わる!
 
 
 
みたいな話になると、疑問符が付く。
 
 
 
 
 
 
 
 
たいてい、世の中で思われている
 
 
「こうなるといいなぁ」
  
「これがあると、幸せそうだなぁ」
 
 
というものは、決してその人を楽にはしない。
 
 
 
 
 
たとえば。
 
 
 
 
「お金がある方が、ない方より良いか?」
 
と言えば、その通りお金がある方が良いだろう。
 
 
 
また、
 
 
「お金がある方が幸せになりやすいか?」
 
と言えば、その通りの側面も多いように思う。
 
 
 
 
 
ただし、
 
 
「お金がある方が、楽か?」
 
 
というと、まず間違いなく「NO」だ。
 
 
 
 
 
 
 
宝くじで一発当たったと言ったような
一時的なリッチはともかく、
 
 
継続的にお金持ちであるためには、
 
お金がない時よりも、
お金について学ばなければならないし、
収入と支出をコントロールしなければならない。
 
 
税金についても注意が必要だし、
 
税理士、会計士、弁護士といったチームも必要になるだろう。
 
 
 
なので、
 
 
「楽か?」
 
 
というと、維持するためには楽じゃないに決まっているし、
楽をした途端、お金はその人のもとから離れていくだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もうひとつ。
 
 
いわゆる「人気者」「人から信頼のある人」になる、
ということも、同じだろう。
 
 
「人からの信頼がある方が、ない方よりも良い」
 
「人からの信頼がある方が、幸せになりやすい」
 
 
というのは、両方とも「YES」であることが多い。
 
 
 
 
しかし、
 
 
「人からの信頼がある方が、楽か?」
 
 
というと、とんでもない!
 
 
 
信頼を構築するまでには、
個人個人に密接に付き合っていくことが大切だし、
 
その信頼を維持するためには、
また「楽」ではないことが待っているだろう。
 
 
その人のあり方も問われるし、
多くの問題や相談も、
信頼できる人のもとに集まってくる。
 
 
 
 
「楽か?楽じゃないか?」
 
 
というと、間違いなく、楽ではない。
 
 
 
 
そんなもんだよね?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして。
 
 
「ミッション」や「ビジョン」も、
まったく同じだろう。
 
 
 
というより、もっとも楽じゃない気がする。
 
 
 
ミッションやビジョンがあった方が
ない方より良いだろうし、
人生の幸せは拡大するだろう。
 
 
 
 
 
 
しかし、その道は極めて困難だ。
 
 
 
「ワクワク」とか、
 
「楽しい」とか、
 
「仲間と一緒」なんてことだけでは、
 
済まされない局面もあるだろう。
 
 
 
 
 
 
ウンザリするような雑務があったり、
 
やりたいこととは正反対のことがあったり、
 
仲間の裏切りや、喧嘩や、別れもある。
 
 
 
自分の実力を思い知らされることもあるだろうし、
かかなくてもいい恥をかくことも多くなる。
 
 
 
 
あり方を問われ、
 
多くの人と争い、
 
自分の手足がもぎとられるような思いもするかもしれない。
 
 
 
 
 
でも、
 
 
 
それでもやって行くのが、
本当の「ミッション」「ビジョン」だろう。
 
 
 
 
 
 
歴史を見ても、それは間違いない。
 
 
 
  
天は必要なものを奪い、試す。
 
 
 
 
私は別に宗教家じゃないけれど、
そもそも「ミッション」「ビジョン」ってのが
形のないものなんだから、
こういう表現になっちゃうのは、ご勘弁。
 
 
 
音楽に身をささげたものたちが、
晩年、聴力を奪われるなんてことは、よくある話だ。
 
 
 
絵画に一生をささげたのに、
その絵が生きている間は一枚も売れず、
評価されなかった人も知っているだろう。
 
手が奪われ、口に筆をくわえて描き続けた人も多くいる。
 
 
 
映画の撮影に必要な資金が集まらず、
資金が集まるまで何年もかけて交渉に費やした人もいる。
 
 
 
 
 
そこまで有名じゃなくても、
 
 
人との愛を伝えたい人が
多くの別離と訴訟を繰り返したり、
 
 
味覚を失われた料理人がいたり、
 
 
スポーツ選手が身体を損傷したり、
 
 
歌手が声を奪われたり。
 
 
 
さまざまな人が、様々な形で
 
「必要なもの」を奪われてしまう。
 
 
 
 
 
 
 
でも。
 
 
 
それでもやっていく、というのが
本物の「ミッション」「ビジョン」なんだろうし、
 
その姿に、周りの人たちも心を動かされて
応援したりもするのだろう。
 
 
 
誰も、すべてに置いて恵まれている人に
手は差し伸べない。
 
(“おこぼれ”を狙うハイエナは別として)
 
 
誰も、「生まれてから最後までハッピーでした」
という物語では、心が動かない。
 
 
 
 
 
生き方は、人それぞれ。
 
 
どんな風に生きてもいい。
 
 
 
ただ、
 
 
「楽になりそうだから、お金持ちを目指そう」
 
「楽そうだから、人気者になろう」
 
 
というのと同じように
 
 
「楽で、ワクワク楽しそうだから
 ミッションやビジョンを持とう」
 
 
というのは、ちょっと
やめておいた方がいいかな?
 
なんて思う次第。
 
 
 
 
 
 
ミッションやビジョンを既にみつけて
頑張っている人は、それはそれで素晴らしい。
 
 
でも、今ミッションやビジョンが見つかってなくても、
一生見つからなくても、それはそれで、
「人生を楽しむ」という点において素敵な生き方だ。
 
 
 
 
 
 
お互いに、この世を旅立つ前に
 
 
「よかった」
 
 
と思える生き方をしたいよね。
 
 
 
ではでは。
 

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