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嫉妬のメカニズム。

今まで生きてきた数十年を振り返ると、
 
 
「まぁ、いろんな人に嫉妬してきたなぁ」
 
 
と思う。
 
 
 
「○○くんは、
 あのオモチャを持っていて、いいなぁ」
 
 
「アイツは、
 クラスの人気者で、いいなぁ」
 
 
「あいつは、ガールフレンドがいて、いいなぁ」
 
 
「あの人は、上司とうまくやっていて、いいなぁ」
 
 
「あの人は、株で儲けていて、いいなぁ」
 
 
「あの人のビジネスは、うまく行っていて、いいなぁ」
 
 
「あの人は、出版が出来ていて、いいなぁ」
 
 
「あいつは、あんな体験ができて、いいなぁ」
 
 
「あの人は、たくさんの人から尊敬されていて、いいなぁ」
 
 
 
 
などなどなどなど。
 
 
 
我ながら、よくまぁ飽きずに嫉妬してきたなぁ、
と思う次第。 
 
 
 
他の人が私のハラの中を見たら、
 
 
「うわっ!真っ黒!しかも、キモ小っちゃ!!」
 
 
と思うに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
「嫉妬という感情があったから、がんばれた」
 
 
とか、
 
 
「負けるもんか!と思ったから今がある」
 
 
なんて側面もあるかもしれない。
 
 
 
 
 
けれど、
 
 
もうそんな「イイハナシダナー」ってするような
レベルじゃなくて、せっせと嫉妬する人を見つけてきては、
 
 
「キーッ!!!」
 
 
となっている自分が、本当に
しょうもないなー、と思うんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
でも、
 
 
考えてみると、嫉妬するのって、
そうとう条件が厳しい気がする。
 
 
 
・基本、ほぼ同世代で、
 
・かつ、基本同性で、
 
・かつ、基本自分が絶対に手が届かない人じゃなく、
 
・かつ、基本その人のすべてを知らず、
 
・かつ、将来自分も選べる選択肢を選んでいる人
 
 
 
などの条件がすべてそろわないと、
なかなか「嫉妬」にはならないと思うんだけれど、
どう思う?
 
 
 
 
さらに。
 
 
どうもよく考えてみると、嫉妬って、
「人」にしているように見えて、実は
そうじゃないんじゃないかな?
 
 
という気もしている。
 
 
 
 
 
 
 
 
というのは、
 
 
もっともシンプルなのは
 
「欲しいモノを持っている人」
 
という場合。
 
 
 
自分がその「欲しいモノ」を手に入れてしまうと、
その人への嫉妬は、消えることも多い。
 
 
そして、たいていの場合は
 
 
「あれ?なんか大したことなかったな」
 
 
と思い、また別のものに目が行ってしまう。
 
 
 
 
(ここでいう「モノ」は、そのまま物品のこともあるし、
 体験だったりすることもある)
 
 
 
また、
 
 
欲しい物を持っている人全員に嫉妬するかと言うと、
それがそうでもなかったりもする。
 
 
「まぁ、あの人が持っていても、別に何も感じない」
 
「そりゃ、あの人が持っているのは、素敵やん」
 
 
などと思ったりもする。
 
 
 
 
「人」に依存しているかと思う嫉妬も、
実はそうじゃないんじゃないか?
 
なんて気もしてくる。
  
 
 
 
 
 
逆に、

相手の持っているモノ自体には大して興味がないのに
なぜか嫉妬心をかきたてられることもある。
 
 
 
「別に、それ自体は欲しくないけれど、
 なんかザワザワする」
 
 
「そこまでして欲しいか?というとそうでもない。
 でも、なんかイヤな気分」
 
 
 
なんてこともある。私は。
(すみません、小物で)
 
 
 
 
 
 
そんな場合は、その「人」そのものに嫉妬しているのかな?
 
とも思えるんだけれど、
よくよく深く思考してみると、やっぱり違う。
 
 
 
 
 
どうも、嫉妬というのは「価値の移転」により
発生するもののような気がする。
 
 
 
 
モノ、体験がしてみたい!
という場合でも、
 
 
「あんなモノを持っているあの人、いいなぁ」
 
「あんな体験が出来る人、いいなぁ」
 
 
という、「人」と「モノ・体験」を混同して、
自分の中で「価値の移転」を自動的に行なってしまっている。
 
 
 
 
「あんなモノは欲しくないけれど、あの人ムカツク!」
 
「そんな体験はしたいと思わないけれど、イラッとくる」
 
 
という場合も、「人」そのものに感情があるのではなく、
たぶんもっと深い、根源的なニーズを、その人が体現していることに
感情がざわめいているのだと感じる。
 
 
 
たとえば、
 
 
「いろんなことを実現して、尊敬を集めていられている状態」
 
だったり、
 
「頭がいいと思われているであろう状態」
 
みたいな感じ?
 
 
 
これも、「価値の移転」のように思うんだよね。
 
 
 
 
「人」そのものに嫉妬しているんだとしたら、
嫉妬の感情がなくなるのは、理屈としておかしい。
 
 
 
でも、何年も経つと、
 
 
「なんであの人に嫉妬していたんだろう?」
 
 
みたいなことも、たくさんある。
 
 
 
 
 
ってことは、やっぱり「人」に嫉妬しているんじゃなくて、
現象に嫉妬しているわけだし、
 
表面に見える現象以上の、
なにか特定の、深いニーズを渇望していることになる。
 
 
 
 
だから。
 
 
 
これからは、誰かに嫉妬しそうになった時は
 
 
「この現象を見て、
 私は本当は、何を欲しているんだろう?」
 
 
「この人の、どんな部分の、何に
 感情が動かされているんだろう?」
 
 
と考え、
 
 
 
「なんで、素直に“これが欲しい”って言えないんだろう?」
 
 
「何が私に制限をかけているんだろう?」
 
 
 
なんて考えると、
 
「私はこの人を憎んでいる」
 
という、“勘違い”を起こさなくてすむのかもしれないね。
 
 
 
 
なんて思いつつ、
 
今日もせっせと嫉妬する人をサーチしている
自分を感じたりもするんだけれどね。
 
 
 
やれやれ。ではでは。
 

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