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人への評価は、近視眼。

「あー、あの人って、こうだよね」
 
「あんなこと、しなければいいのに」
 
 
とか、逆に
 
 
「あの人って、いいなぁ。。。」
 
「あの人みたいに生まれればよかった」
 
 
と、だれかがだれかを評価しているのを
見たり聞いたりする時って、あるよね。
 
 
そういうのが、ことさら好きな人もいるし、
そして、たまには自分でも
だれかの評価をやっているかもしれない。
 
 
 
個人的には、
 
どんな人が、どんな人を評価したり
羨ましがったりするのは全然構わないんだけれど、
 
 
「それって、実はものすごく近視眼的な行為だ」
 
 
ということに、最近気がついちゃったんだよね。
 
 
 
と、いうのは。
 
 
ほとんどの評価って、まず間違いなく
 
 
評価する人本人の「今」この瞬間で、
だれかの「今」その瞬間を評価している。
 
 
 
 
たとえば、
 
だれかがなにかの行動をした時も、
その行動が
 
 
「素晴らしい行動だなー」
 
 
と思う時もあれば、
 
 
「あー、あんなこと、しなければいいのに」
 
 
と思い、評価する時もある。
 
 
 
しかし、その評価をしているのは、
 
「今」の自分だ。
 
 
 
「今」の年齢で、
 
「今」の知識があり、
 
「今」の価値観で、
 
「今」の感情で、
 
 
その人を評価している。
 
 
 
 
そして、評価をしているだれかのことも、
 
だれかの「今」の、それもたったひとつの行動から
評価している事も多い。
 
 
 
人間は、多面的な生き物だ。
 
 
だから、正統な評価ってのは、
そう簡単にはできない。
 
 
でも、つい、ある一面だけを見て
評価をしてしまったりもする。
 
 
 
 
 
だれかに
 
「あんなことしなければいいのに」
 
「あの人って、ひどいね」
 
なんて評価をしたとしても、
 
 
 
過去には、自分も同じようなことをしていたかもしれないし、
 
未来には、自分も同じようなことをしないとも限らない。
 
 
評価している人の年齢の時なら、
同じ思考回路で行動をする可能性もあるし、
 
評価している人と同じ環境に放り込まれたら
同じような行動をとらないとも限らない。
 
 
さらに言えば、もしかしたら
昨日はそんな評価を思いつかなかったかもしれないし
明日になれば、その人の行動の解釈が変化するかもしれない。
 
 
 
それでも、だれかの行動を見て
 
「あー、あんなこと」
 
と、評価をしているわけだ。
 
 
 
 
また逆に、だれかに
 
 
「あんな風になれたらいいな」
 
「あの人って、すごい!」
 
 
なんていうプラスの評価をしたとしても、
 
 
過去には、形をかえて自分がやっていたかもしれないし、
 
未来には、そんな素晴らしい事をやるかもしれない。
 
 
その人の別の一面を知ったら、評価が真逆になるかもしれないし
明日には、自分の気分が変わっているかもしれない。
 
 
 
それでも、
 
「すごい!」
 
「うらやましい」
 
と、評価をするわけだ。
 
 
 
自分の「今」この一瞬と
だれかの「今」この一面。
 
 
そんな「点と点」を
頼まれもしないのに結びつけている行為が
 
「評価」
 
なんだなぁ。
 
 
それが人間なんだなぁ、なんて、
あらためて思ったんだよね。
 
 
 
もちろん、
 
「一事が万事」
 
ということもあるので、一概には言えないかもしれない。
 
 
でも、それにしたって、その評価をしているのは
 
今までに積み上げてきた「自分」という人間が
これからどんな風になるかもわからないのに
評価をしているんだなぁ、なんて思ったわけ。
 
 
 
 
そして。
 
 
それは、他の人の目も同様だ。
 
 
今、あなた自身も、色んな人に評価されることも
あるかもしれない。
 
 
でも、それは
 
「あなた」という人間の、今この時の
さらにある一側面を、
 
その人の、その時の年齢や知識や環境で
評価しているにすぎない。
 
 
 
じっくりと耳を傾けるという
真摯な姿勢も必要かもしれないけれど、
 
それに押し潰されてしまったり、
逆に浮かれすぎてしまうようなら
 
 
「今の自分の一面と、今のその人の価値観の
 点と点に過ぎないわ」
 
 
と、スッと俯瞰してみてもいいのかもしれないね。
 
 
 
どんな行動だったとしても、
自分が信じた方向に行ければいいな、
なんて思います。
 
 
ではでは。

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