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自分の弱さとの付き合い方。

「人は弱い生き物だ」
 
そんな風に語られる。
 
 
そんな時に言う「弱さ」とは
一体どんなものなのか?
 
 
いろいろな捉え方があると思うけれど、
 
「感情の波に呑まれてしまうこと」
 
が「弱さ」の正体なんじゃないかな?と思う。
 
 
人の心は、コロコロ変わる。
外部からの刺激に対して、すぐ内的には反応する。
 
それを選択することなく、
言葉や行動を発露してしまうことが
「弱さ」なんじゃないかな?
 
 
寂しい時に泣く。
 
恐怖に支配されてしまう。
 
楽をとる、有頂天になる。
 
 
そんなこともあるだろうし、
 
 
人をコントロールしようとする。命令する。
 
強い立場を利用する。強者を利用しようとする。
 
誘惑をする。誘惑される。
 
お金や美貌などを武器とし、
自分の利益のためにパワープレイする。
 
 
そんなのも、結局は「弱い」ことのようにも
感じることもできる。
 
 
強い思いや理念ではなく、
魂が求めることではなく、
その場の感情が欲してしまう通りに動くこと。
 
それが「弱さ」の原質なんだろうね。
 
 
 
その上で。
 
 
個人的には、
 
「人は弱いものだ」
 
で、いいと思う。
 
 
今まで書いたすべてのことが、
自分自身にも思い当たることばかりだし。
 
 
 
ただ、
 
「自分の弱さを認める」のと、
「自分の弱さに甘える」のは、違うように思う。
 
 
自分は弱いのだ、と認めた上で
その後、どうするのか?
 
自分は弱いから、と甘えた上で
その後、どうするのか?
 
 
そんな両者のアウトプットには、
雲泥の差がつくと思うんだけど、どう?
 
 
弱さとは、向き合うものであり、
そこにあぐらをかくものではない。
 
 
弱さとは、自分の中の未成熟な部分であり、
いわゆる「子供」の部分だ。
 
「子供」を認めるのと、
「子供」に甘えるのは、まるで違う。
 
 
そんな風に思う。
 
 
 
同様に、
 
「他の人の弱さを認める」のと、
「他の人の弱さを甘やかせる」のも、
大きな違いなのだろう。
 
 
 
 
さて。
 
 
感情の波は、オギャーと生まれてから
この世を去るまで、一生つきまとう。
 
ある時は、その波にさらわれ
溺れることもあるだろう。
 
だからと言って、
感情を一切消すことを目指すのも、
今の私には「逃げ」にも思える。
 
 
 
だから。
 
 
感情と対峙し、
切り離すことなく、
押さえつけることもなく、
いい距離感で、仲良く握手し続ける。
 
 
そんな人間を目指したいものですわ。
 
 
、、、できている、とは言ってないぞ。笑。
 
 
ではでは。
 

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