成功者と成功者芸人の違い。
世の中には、ホントに
とてつもなく凄い人がたくさんいる。
また、本人的に
「私なんてまだまだ。。。」
なんて言う人も本当に素晴らしい人ばかりだし、
もし仮に、分かりやすく凄くなかったとしても
それで人の価値が計れるわけでもない。
そんな前提の中で、あえての今回、ね。
世の中には、社会的に成功している人もいる。
人格的に成熟されている方もいる。
しかしそれとは反対に、
「私は成功者ですよ」と吹聴して
その人工ダイヤのような輝きに魅せられた人を
「ふひひ。。。飛んで火にいる夏の虫」
と、ほくそ笑みながら
お金や時間や価値を吸い取る輩もいる。
まぁ、個人的にはよくわからないけど、
「私は本物のダイヤより、
人工ダイヤの方が好きなんです!」
と、何回も何回も人工ダイヤの方を
チョイスする人もいるので、
それはそれでニーズがあるんやろな、とも思う。
なんなの?そのチョイス?
修行なの趣味嗜好なのカルマなの?
「いや、私は本物のダイヤの方が好きですよ。
でも、見分けなんて、つかなくないですか?」
つくよ。
スーパーつく。
マーベラスつく。
本当に人生で成功、成熟を収めている本物ダイヤの人と。
成功を騙っている成功者芸人、人工ダイヤの人は。
見分け、つく。
サティスファイつく。
それも、非常に簡単だ。
説明するね。
さて。
成功者芸人。人工ダイヤの人は。
基本は、「私すごいアピール」。
そこに付随する「他はダメ」アピールがある。
あるいは、
「他は普通だけれど、私は特殊」
とするコミュニケーションスタイルを取る。
そして、
「私の近くにいたら、他を出し抜ける」
と、そそのかして自分の近くに寄せようとする魂胆。
あるいは、
「私の近くにいたら、スケールが大きなことができる」
とするスタイルになる。
特徴としては、スケール大きい系の人や、
パートナーシップアピール系の人のプライベートは
実質的にはメチャメチャになっていることが多い。
(全員とは言わんが)
考えてもみ?
本当に経済的にも人格的にも成熟している人が
そんな「私スゴイ」アピールするわけないやん?
しなくても、自他ともに認めてるんだから。
だから、本当の成功者(てか、成熟者)は、
今言った人とは、真逆の在り方を示す。
つまり。
「私は凡人です」
「私はまだまだです」
というのが基本姿勢で、
そこには当然のことながら、
「周りがすごい」
「素晴らしい人ばかりだ」
という感謝が寄り添うあり方がある。
少なくとも、
「私もやれることをやります。
周りも素敵な人ばかりです」
という、互いを尊重する空気をまとう。
そして、
「私の近くにいる、いない」は、
さして大きなフォーカスではない。
成功者芸人さんたちにとっては
大きな命題である「私の近く」は、
さして大きなこだわりはない。
なぜならば、普遍的なことを言い、
原則的な行動をしているのだから、
「やろうと思えば、誰でもできる」
「私のそばにいようがいまいが
やる人はやるし、やらない人はやらない」
と思っている。
裏技的に出し抜こうなんていう思考が
そもそもないのだ。
「出し抜く?
そんなの意識しなくたって
コツコツやっていけばいいんじゃない?」
というスタンスだ。
また、特にスケールが大きなことも言わない。
結果としてスケールが大きくなることもあるが、
それは、別に大きくアピールする必要もない。
言わなくても、協力者が集まってくるからだ。
夢を語るにしても、
自分ができることという一滴から
波紋が広がるような形をとるし、
それが世に広がった時には
自分が放った一滴は、
全体に溶け込んでいることを是とする。
水面をバシャバシャ波立たせることより、
深い水底に理念を浸透させることに注力する。
成功者芸人のゴールは
「自分の生涯の満足」が、もっとも遠い未来なのだが、
成熟者の見ているのは、そのはるか先。
そりゃ、違ってくるに決まってるよね。
、、、ってなワケで。
成熟者と、成功者芸人の違いを
パラパラ言ってきたけれど。
本当に、たった一言で表現するのであれば。
成功者芸人の根底には、
「私を見て!」
があり。
本当の成功者、成熟者には、
「あなたを見ています」
があるんじゃないかな?
と思うのでありんす。
もちろん、純度100%じゃないかもしれないけれど、
その人の日々の言動に、どちらの傾向が強いのかは
なんとなく見て取れるんじゃないかな?
、、、と、こんなことを
言語化できるワタシって、すごいでしょ!
他とは違うでしょ!?
だから、ワタシを見てぇぇぇぇーーーー!!!!!
と、心から願うばかりのワタシでござんす。笑。
ではでは。