アニメでもドラマでも何でも、
「悪役」っているじゃない?
悪役じゃなかったとしても、
「どうしようもない奴」とか
「おっちょこちょいなキャラクター」って
けっこう出てくると思う。
でも、こんな「悪役」「カッコ悪い役」たちの
誕生秘話をみると、ちょっと複雑な気持ちに
なる時もあるんだよね。
たとえば、悪役じゃないけれど
ディ○ニーに出て来る「ドナルド○ック」。
おっちょこちょいで、でもどこか人間くさくて
憎めないキャラクターなんだけれど、
彼が誕生した理由というのが
「ミッ○ーマウスを優等生にするため」
なんだよね。
初期の○ッキーマウスは、
カッコいい事もやるけれど、カッコ悪いドジも踏む。
優しい時もあるけれど、
憎しみや怒りでケンカする事もある
キャラクターだった。
ところが、人気が出るにしたがって、
「こんなバラバラな性格じゃ、
子供たちが混乱するかもしれないな」
と考えられたのか、
「ミッキー○ウスのダークサイドを受け持つ
キャラクターを作ろう」
という話になった。
そして誕生したのが、白いアヒルの
ドナルドダッ○というわけだ。
なので、彼がおっちょこちょいで
感情をあらわにするのは、もはや生まれた時点で
決定づけられていたわけだ。
同じような経緯で誕生したキャラクターは
実はけっこう多い。
アンパンマンにおけるバイキンマン。
ウルトラマンにおける怪獣ベムラー。
ルパン三世における銭形警部。
もちろん、それぞれ経緯はちょっとずつ違うんだけれど、
誕生したメインの理由は
「主役を際立たせるため」
であり、
「主役に矛盾を抱えさせないため」
だったりするわけだ。
ぬぬぅ。ちょっとかわいそうだ。
そして、
「主役に矛盾を抱えさせないため」
に生まれた、人類史上最大の存在は、
「悪魔」
だろう。
「全知全能の神様なのに、
なんで私たちはこんなに苦しいの?」
「神様が創りたもうた私たちなのに、
なんで世界は平和じゃないの?」
という疑問に答えるために
悪魔は「発明」された、という側面もあるだろう。
(まぁ、他にも異教を「悪」とするためとか
イロイロ複雑だろうけれど。
今回の話は、著作権やら宗教やらが入って
けっこう危ないな。
かなり偏った見方なので、異論大歓迎!
まぁ、異論が来ても別に議論しないけど。笑)
「主役が主役たり得るために」
「主役が活躍できるために」
「主役がライトサイドでいられるために」
そんな理由から産み落とされ、
その役割を担うことを強いられている
キャラクターたちって、
ある側面からすると、ちょっとかわいそうだよね。
人間の根源的欲求だから仕方ないけれど、
そんな「悪役」「引き立て役」たちにも
愛情を注いであげられる時があってもいいな、
なんて思うけれど、いかがでしょう?
そして。
これって、私たち個人個人の中でも、
心理的に起きている現象なんじゃないかな?
なんて風にも思う。
単純な例では、
「あの人、なんか嫌い」
「あいつ、ウザイ!」
と思う人の中で、実はあなたの中で
「ドナルド化」「サタン化」している人はいないだろうか?
「自分の正当性を守るため」
「自分がライトサイドで、
間違っていないと証明するため」
特定の人にネガティブな反応をしていることは
ないだろうか?
さらに。
自分自身の中で、
「私のこういうところが嫌い!」
「本当の私は、こんな人じゃないのに」
「自分探しをして、今と違う自分になろう」
なんて思っている時があるのだとしたら、
それも人類がずっと行なってきたのと同じように
「サタンを発明している」
ケースだって、あるような気がするんだけれど
どうだろう?
「私はダメじゃない。
本当の私は光り輝く正義の人なんだ」
「心やさしく、感謝の気持ちを忘れない
かわいくて素敵な人間。それが本当の私」
そんな風に思いたいから、現状の自分の特定部分に
「サタン」を見出して、生みだしていることはないだろうか?
まぁ、それで本人が楽になるんだったら
止めはしないけれど、それってちょっとかわいそうだなぁ
なんて思うわけ。
誰がかわいそうかって、本人が。
本人の中で「サタン」として作り上げられてしまった
部分自体が。
我々人間は空想上のキャラクターじゃなくて
リアルな生き物なんだから、
そんなに完璧じゃなくても、
カッコいいところも悪いところもあっても、
矛盾を抱えていても、
邪な自分と聖なる自分のはざまでフラフラしてても、
別に、いいんじゃね?
ホント、いいんじゃね???
もし、自己否定をする時があったとしても、
それを常に「サタン」として固定せずに
「まぁ、しゃーないわー、私」
と、自分の「サタン」も愛せるような人だと、
より魅力的だろうし、少なくとも本人は楽だと思う。
そんな人の方が、私自身は好きです。
なぜなら、私は人を言葉でたぶらかす
「サタン」自身だからです(笑)
ではでは。