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「発信」するとオカシクなるテーマ。

前回、『言語化の宿命』ってことで、
「言語化すると、そこで方向性と意味が、一度固定する」
ってな、オタクなことを書きやんした。

まぁ、言葉の持つ特性のひとつであって
そのすべてではないんだけど、
読んでくださった方、ありがとうございます~


で、

こんな特性を持つ言葉なので、

「言葉にして発信すること自体が矛盾」

みたいなテーマもある気がする。


いやね、別にそのテーマについて発信している人を
否定するつもりもないし、なんならワタシも書いてる。

ただ、言葉にした時点で、
どんどん本質からずれていくというか、
なんとなく、おかしな方向に行きやすい。



そんなテーマの一つが「あり方」。


人としてのありようとか、
どんな時にどんな判断をするか?ということって、
言葉にできないことだし、固定化と真逆でもある。


なので、

「あり方が大事です」とか、
「これが私のあり方です」とか、
言葉として発信した時点で、なんとなく怪しくなる。

え?宗教?みたいな。


あり方って、他者から見た
言語化できないその人の魅力じゃん?

エピソードとして
「こんな時に、こうしてくれた」
「あの時、こう振る舞ってくれた」
みたいなことは話せるけれど、

それが「あり方」ってぇ発信になると、
フルスロットルでキモくなる。

きわめて柔軟性の高い領域なのに
言葉が持つ特性ゆえに
言語化した途端に固定化しちゃう。

へぇ、大変だよね。



あと、これもまた否定している訳じゃないんだけど、

「女性性」

とかも言語化には向いてないテーマかもしれない。


「言語化による発信」というのが、
男性性のエネルギーなので、

「これが女性性です」

と発信した時点で、オラオラる。


また、柔軟に柔らかく包み込み、
受け入れるのが女性性なのに

「男性性と女性性」

という二極で語る時点で男性性に陥ってしまう。


いやね。仕方ないんだよ?
で、そんな発信をしている人もいいと思うよ。


ただ、

なぜか「女性性」を声高に発信する人は、
バリバリ系な感じがする。

え?見えない何かと戦ってる?みたいな?

それもひとつの女性性の形ではあるのだろうけれど、
ほんわか系家庭的女子の人は
女性性を語らない不思議時空。


ムズいよね。

「女性の権利をガンガン主張する女性は、
ㅤなんか男っぽいの法則」

に近いのかもしれない。



さてさて。


もう何十万回も繰り返すけれど、
「あり方」とか「女性性」を発信している人を
ディスっているワケじゃない。

もう、ワタシの過去記事見てみろよ?
そんなん、めっちゃ多いから。


その上で、

「言語による発信をした時点で、
ㅤその本質からずれてゆく」

という、

「言語の特性ゆえの残念テーマ」

ってぇものは、あるんじゃあねぇのかな?
なんて考えるのでありんす。


まぁ、前回も書いたけれど、
だから、言葉で森羅万象すべてを腹落ちなんて
無理無理無理ィィィィ!!ってこと。


他にも、いろいろと

「言語発信するとおかしくなる」

というテーマはあるんだろうね。


….あ…この記事自体が、そうかもな(笑)


ではでは。

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