男は絶望にうちひしがられていた。
勤めていた会社から突然クビを言い渡された。
クビの理由は「能力がないため」という、
男のプライドを傷つけるのに充分なものであった。
不当解雇と言えば不当解雇だとも思ったが、
今までコツコツ働いてきた会社を相手取って争うのも
空しいと思い、男はただ
「はぁ・・・わかりました」
と、会社の要求を受け入れた。
男が会社をクビになったことを恋人に告げると、
彼女は男をなぐさめるどころか、
「前から思っていたけれど、
あなたって、ホント情けない男ね」
となじった。、
「今日でお別れね。
今まで付き合ってあげたんだから、その慰謝料として
退職金でもらったお金は、私にちょうだい。
雀の涙でしょうけれどね」
と、退職金の入った封筒を奪うように
持ち去ってしまった。
途方に暮れているところに、男の携帯電話に
一本の電話が入ってきた。
電話の相手は親戚だった。
相手は言いにくそうに男に伝えた。
「落ち着いて聞いてほしいんだけれど・・・
あなたのご両親が、今日事故に巻き込まれて・・・」
二人とも、危篤状態とのことだった。
なんと返事をしたのかも分からないまま、
男は電話を切った。
「・・・とにかく、実家に戻って
親に会いに行かないと・・・」
男は一人暮らしをしているアパートに
ふらふらと帰った。
玄関の鍵を空けようとすると、
ドアが半開きになっていることに気づく。
「・・・あれ?」
不審に思いながらもドアを開けてみると、
そこは普段の整理された部屋ではなく、
たんすも机の引き出しも開けられて、
滅茶苦茶に荒らされた状態になっていた。
「空き巣・・・か・・・」
男は靴も脱がないまま、
がっくりと玄関に膝を突いた。
「はは・・・何も、よりによって
こんなボロアパートの部屋を狙わなくてもいいのに・・・
泥棒も、間抜けだなぁ・・・」
男は、あまりの自分の境遇に笑うしかなかった。
夜。
本来ならばすぐにでも
実家に戻らなければならなかったのだが
男はアパートの自室で、電気もつけずに身体を丸め、
ブツブツとつぶやいていた。
こんな世界に未練はない。
どうせ、いつかは死ぬんだ。
それが今であっても、かまわないじゃないか。
男は自分でも不思議なくらい機械的に
天井にロープをくくりつけ、ロープに作った輪に
自分の首を潜り込ませた。
「大家さんには、申し訳ないな」
そんなひと言をつぶやいた後、
男は乗っていた椅子を自分の足で蹴り、
クビにかかったロープに、自らの身を任せた。
* * *
・・・うん?
どこだ?ここは?
男は辺りを見渡すと、自分が見慣れない場所に
いることに、違和感を覚えた。
そこは白い壁に覆われた小さな部屋で、
一か所空いている窓の向こうには
演劇をするような舞台が見える。
舞台の上では、多くの人が
何かの劇を演じているようだが
今の男には、注意深く見る気はなかった。
部屋には、簡単な机と椅子しかなく、
その机は、舞台を見られるように
窓際に据えられていた。
そして、椅子には驚いた表情をしたまま
こちらを見ている、白い服を着た少年が座っていた。
「なんであなた、
こっちに来られちゃったんだ・・・?」
少年はびっくりしたまま、ひとり言のように
男に聞いて来た。
男は、
「ここは一体どこなんだ?
そして君は一体・・・?」
と、少年に向かって尋ねると、少年は
「ぼくも、なんでこんなことが起こったのか、
まるで分かってないんだけれど・・・」
と言いながらも、男に説明をしだした。
「ぼくは、あなた担当の天使。
天使っていうのは、神様の使いね。
あ、それくらいは分かるか。
ぼくは、あなたの人生の台本を書くことで
あなたを応援するのが役目なんだ」
「人生の台本?」
「そう。天使は、担当の人間の人生に
台本を書くことで、様々なイベントを起こすんだよ」
天使と名乗った少年は、そう言いながら
机の上に置いてある紙の束を指差した。
「ぼくは、あなたを担当している天使だから、
あなたの人生の台本を書いている。
なんであなたがここに来ちゃったのかはわからないけれど、
どの人にも担当の天使がいて、
その天使が、その人の台本を書いているんだ」
男は天使の説明を聞くと、
机の上に置いてあった紙の束をめくり、
そこに書いてあることを読んでみた。
そこにはたしかに、男の人生に起きた
様々な事柄が書いてあった。
子供のころに出会った友達のこと。
買ってもらったおもちゃ。
入試した大学。
就職したこと。
出会った恋人。
そして、今回起きたクビ、失恋、両親のこと、
空き巣に入られたことも、そこには書かれていた。
「なんで・・・」
男は天使に、静かに怒りをぶつけた。
「なんで、こんなひどい台本を書くんだ?
台本が書けるのなら、どんな人生だって書けるんだろう?
せめて、もう少し幸せにしてくれてもいいじゃないか!!」
天使は男の顔を困ったようにみつめた。
「うん、ぼくも、ちゃんとハッピーエンドにしたい
とは思っているよ。
でもね、ぼくは台本を書けるけれど、
その台本を受けて、あなたがどうするかは、
コントロールできないんだよ」
天使は、窓の外に広がっている舞台を指差した。
「ぼくは、ここから台本を書く。
たしかにぼくが書いた台本通りのことが
あなたの身の回りで起きるのは間違いないよ。
でも、起きたイベントに対して、あなたがどう反応して、
その後どう動くかは、ぼくには分からないし、
コントロールできない。
天使だけど、神様じゃないんだから。
あなたの人生という物語は、
ぼくが台本を書いて、あなたが演じる。
そしてあなたが演じた事を受けて、またぼくが書く。
そんな繰り返しでできていくんだ。
物語の書きためは出来ない。
僕が書いた台本の1ページを、あなたが演じ切らない限り、
新しい台本を書く紙が現れないんだ。
だから、物語がどうなっていくのかは
ぼくにも分からない部分も多い。
あなたとぼくの物語のキャッチボールで
すべては出来ていくんだ」
男は天使の説明を聞いても、釈然としなかった。
「もしそうだとしても、あまりにひどくないか?
もっと幸せなイベントを書いてくれよ」
「うーん。そこは難しいというか、
これまた天使のぼくには、
完全にコントロールできるところじゃないんだよ。
あなたが演じた結果と全然違うことを
急に起こすわけにもいかない。物語だからね。
それに、あなたが出会った人にも、
それぞれ担当の天使がいるから、
その天使が書いた台本とも、帳尻を合わせないと
いけないとか、いろいろあるんだよ」
天使はそこまで説明すると、ぺろりと舌を出しながら、
いたずらっぽく言葉を続けた。
「それに、人生はトラブルがあるから
物語として面白くなるんだ。
ここからは面白いよ!
不幸のどん底に落ちたかと思ったところで
まさかの急展開!どう?
物語には、主人公の絶体絶命のピンチって
かならず必要じゃない?
今が、ちょうどそこなんだよ。
これぞ物語の醍醐味!って展開だから、
ここから楽しいよ?」
男は、ため息をついた。
「いや・・・私の物語は、ここで終わりだよ。
だって、自殺をしてしまったんだから」
それを聞くと天使は、飛びあがらんばかりに驚いた。
「ええっ!?それは困るよ。
これから大活躍が始まるんだから。
今までの不幸の伏線が、すべてドラマチックに
花開いていくんだから」
天使は、興奮したまま話を続けた。
「台本を書いている天使は、どの天使も、
自分の担当の主人公を活躍させたいと思っているんだ。
もちろん、色々あってもハッピーにしたいとも思っている。
でも、主人公に苦労してもらうようなシーンを書くこともある。
そうじゃないと物語として面白くないし、
必然性もないからね。
そんな中で、天使仲間から一番軽蔑されるのが
“主人公が自殺してしまった”
という結末なんだ。
物語としても一番つまらない終わり方だし、
自分の担当していた人間を死なせるなんて、
天使として失格だからね。
だからお願いだよ。自殺は、やめて。
物語を、途中で終わらせないで!」
男は天使の懇願に、どうすればいいものかと
頭をかいた。
そもそも、自分が何故こんな場所に来てしまったのかも
分かっていないのだ。
人間の人生が、天使が書いた台本と
自分の演技で作られているなんて、思ってもみなかった。
こんなひどい台本を書いた天使をひどいとも思ったが、
半分は自分が選んだことなのかとも思うと
一方的に責めることも出来ない。
「そんなことを言われてもなぁ・・・」
と。
男がふとポケットに手を入れると、
ポケットの中に何かが入っているのに気がついた。
男がポケットから取り出すと、
それは一枚の、まだ何も書かれていない白い紙だった。
天使はその白い紙を見ると、目を輝かせながら
男に無邪気な笑顔を向けた。
「あ!それ、台本のページだよ!
そのページがあれば、これからまた
あなたの人生の続きが書ける。
それをぼくに渡してくれれば、
ぼくが続きを書く。
その後、あなたがどう演じるかにもかかっているけれど
ここからの物語は、きっとあなたも気にいるはずだよ」
天使は、キラキラした目を向けながら
男に手を合わせた。
「ぼくに、そのページを、その白紙を
渡しておくれよ?」
男は、手の中にある白紙を見つめながら、
じっと考えた。
今、この白紙を破り捨ててしまったら、
何の未練もない世界にさよならできるのかもしれない。
どうせ、いつかは死ぬんだ。
それが今であっても、かまわないじゃないか。
しかし・・・
どうせ、いつかは死ぬんだ。
それが今じゃなくても、かまわないじゃないか。
男は、黙ったまま天使に
まだ何も書かれていない、まっさらな紙を手渡した。
* * *
「痛ててて・・・」
男は、ズキズキと痛む頭を押さえながら
起き上がった。
どうやら、ロープが天井から切れて、
そのまま気絶をしてしまっていたらしい。
何か不思議な夢を見ていたような気もするが、
どんな内容だったのか、まったく思い出すことが出来ない。
しかし、なぜかもう一度ロープを天井に結ぶ気には
ならなかった。
ほんの少しだが、
「生きてみよう」
という気が起きていた。
そこに、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
着信は、先ほどかけてきた親戚からのものだった。
男は、なぜかその連絡が
自分にとって良い連絡である予感を感じつつ、着信に応じた。
「もしもし・・・?」
窓からは、新しい朝の光が射し込んできていた。
男の人生は、またここから始まる。