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エセ評論家マインド。

先日、経済界で20年以上活躍していて、
上場経験などもしている筋金入りの経営者である
仲良し友達に教えてもらったことがあって。
 
 
「いぐさん、人って2ケタ上までは
 その世界が見えて語れるんですよ」
 
なんだってさ。
 
 
 
つまり。
 
 
たとえば「何100円」というお金が
通常のリアルであるお子様たちは、お年玉とかで、
2ケタ上の「何万円」単位の世界は見える。
 
 
そして「何万円」というお金が
通常のリアルである場合は、
2ケタ上の「何百万円」の世界は見えるし語れる。
 
 
その人たちは、100万円と200万円とでは、
買えるものの違いがハッキリ明確に見える。
 
けど、その次の数千万円単位になると、ややぼやける。
 
 
で、
 
経営者として「何十億円」というお金が
リアルになると2ケタ上の「何千億」が見えて、
「何百億円」がリアルになると、兆が見えるそうな。
 
 
ワタシなんかは、1兆円と2兆円で
どれだけ違うのかが、全然わからない。
 
「え?それだけあれば、変わらなくね?」
 
となってしまう。
 
 
1億円と2億円も「なんかたくさん」みたいな?
 
 
でも、おそらく100円がリアルのお子様たちは
 
「100万円と200万円って、変わらなくね?」
 
と思っているかも知れないから、
それと同じ感覚なのかもしれないよね?
 
 
 
そう。
 
人は、2ケタ上は、分かる。
リアルじゃないけど、見える。
 
3ケタ上になると、ちょいぼやける。
 
 
ワタシは「なるほど~」と、ものすごく共感したんだけれど
この感覚、共有してもらえるだろうか?
 
 
 
で、その「2ケタ上の法則」があるからこそ、 
「自分のリアル」のランクを上げることによって
よりダイナミズムを持って世界に善いことを広げられる。
 
そのために、お金だけでなく
自分のリアルを磨いていっている、というわけだ。
 
いいね!すごいね!超いいね!
 
 
 
 
でだ。
 
 
ここからはワタシの持論だけれど、
 
いわゆる、質の悪いエセ評論家たちは、
この「自分のリアル」と「見える世界」を
ごっちゃに錯覚してるんやろな、と感じた。
 
 
自分のリアルは100万円なのに
 
「そうです。私のリアルは1億円です。
 だから100億円も話せちゃいます」
 
としたのが、背伸びしすぎ
ホメ・テヨン評論家おじさんだ。
 
 
 
エセ評論家は、友人である経営者さんに
あれこれ言う。
 
野球に例えるなら、バッターボックスに
立ってもいないのに。
 
 
 
そして、たまに会合とかで
経営のあり方みたいのを対話する時、
おかしなことが起こるそうだ。
 
 
野球に例えていくと。
 
 
ピッチャー、友人の経営者。
バッター、評論家。
 
 
さぁ、意見交換という試合が始まる。
 
 
ピッチャー、大きく振りかぶって投げたー!!!
スットライーク!!!!
 
「ふむ、いい球を投げるね。
 もっと内角を攻めてもいいのでは?」 
 
バッター、なんか言ってるー!!
 
 
 
第2球!
ドストレート!
スットライーク!!
 
バッター、「ほお、いいじゃないか」。
 
 
 
そして第3球!
 
バシィッッッッ!!!
 
スッッッットライーッックッッッ!
 
バッターアウッッ!! 
  
 
バッター、
「なかなかいい勝負だったよ。
 今回は君の勝ちだ。君はまだ磨けば光るね」
 
 
意見交換、ゲームセット!!!
 
 
、、、、って。。。。
 
 
おーーーーーーーーーーーーーーーいっっ!!!!!
 
 
バット振らんかーーーーーーーい!!!!!!
 
 
ナニ対等の勝負したみたいな顔しとんねーーーーん!!!!
 
 
 
「私のポリシーとして」とか、
 
「生き方がなんやらで」とか、
 
「私は教えるのが仕事なんで」とか、
 
そんなんいいから、ちゃっちゃと振れや!!!!!!
 
せめて、打ち返そうとしろや!!!!!
 
 
わちゃわちゃ何か言う前に、
自分がやってきたこと(成功も失敗も含めて)
テーブルに乗せろや!!!
 
 
、、とまぁ、そんな風にワタシは思うのだけど、
 
友人はそんなことを何十年もやられてきているので
そんな人を見ても「ああまたか」と
ニコニコしてるらしいんだけれどね。
 
 
 
さて。
 
 
経済界の話はここまでにして。
 
 
なぁ、けっこういるよな? こういう奴ら。
 
 
 
お金に限らず、技術や経験や知識やステージを
 
「見えている2ランク上が自分のリアル」
 
だと思い込んでドヤ顔してる奴。
 
 
 
お金にたとえるものではないだろうけれど、
 
本当は100円のスキルクオリティなのに
 
「1万円です!」
 
みたいな話をしたり、
薄っぺらな体験なのに、壮絶さを謳ったり。
 
 
リア充アピールしているけど、
心の奥底では何の充足感もなかったり。
 
 
 
いやね。
 
自分の理想を高く持つのは、素敵なことだ。
 
そこに向かって走ることも。
 
そして、本当は胸の奥で空しさを感じていることも。
 
 
 
ただ、それを他のみなさまに
 
「私のリアルは2ケタ上!」
 
と背伸びして注目を浴びても、しゃあないやろ?
バカじゃねぇの?とは思う。
 
 
ましてや、
本当にコツコツ実績を積み重ねてきた人と
 
 
「やあやあ、御同輩」
 
「君を品定めしてあげよう」
 
  
なんてニタニタ近づくなど、言語道断。
 
ウィザードリィの世界なら、
即刻クリティカルヒットで
首と胴を切り離してやりたい。
 
 
 
さらに、五十歩百歩のスキルと経験なのに
 
 
「僕についてくれば、いい思いができるよ」
 
「教えてあげようじゃないか」
 
 
と上から目線で誘惑するなんて、
お前らの血は、何色だぁぁあぁあぁぁ!!!!?
 
 
 
そう。
 
 
リアルに生きている私たちが大切なのは、リアル。
 
 
パーティとか、 
 
著名人を知ってるとか、
 
なんやらの賞をもらったとか、
 
 
それも、人生のハレの部分で大切だが
それはあくまでもトッピングみたいなものだ。
 
 
そこに染まって、それだけを求めて
 
「私はみんなより2ケタ上の超一流」
 
なんて自らのたまう奴は、単なるエセ評論家に堕す。
 
 
リアルでなにかを成し遂げてから、
リアルの人を、リアルに豊かにしてから、モノを言う。
 
 
自分のリアルをしっかりと踏みしめ、
そこからスタートして自らの「ケタ」を上げてゆく。
 
 
そうじゃないかぎり、
いつしかスキップして飛び抜けてしまったところから
高く積み上げた「砂の塔」が崩れ落ちるだろうから。
 
 
ってなワケで。
 
 
みんな、本当に口の上手い奴には気をつけろよ!
 
特に「私の友達にはすごい経営者がいる」とか言う奴! ←
 
 
 
ではでは。
 

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