よくさ、
「与える人が、最終的には幸せになれる」
みたいな話って、あるよね?
「だから、無償で貢献するのです!」
と、声を大にして言う人なんかがいるわけや。
でも残念ながら、そうやって大声で言う人は、
「自分の利益のために奪う人代表」
なんだけどな。笑。
「奪う人」にGIVEし続けてみ?
その場限りのお礼だけで、
何にも返って来ないから。
あなたがGIVEしたものは、奪っていった本人か、
その強奪者の周りにいる人に分配されるだけ。
「そんなことない。
いつか幸せになれるはず」
と、GIVERは言うだろう。
「そんなことない。
私は奪う人じゃない、与える人だ」
と、奪う人は確信犯的に、
あるいは無意識に言うだろう。
そうやって、GIVERから奪う人への
一方的な搾取は続いていってしまう。。。。
、、、って、そんな辛気臭い話で
終わるわけないから、人生面白いよな!!!!
正直に言って、
与える人が「報われる」んじゃないんだよ。
与える人は、奪われる。ずっと。
何回も何回も、いろんな人に会って、奪われる。
そこで報われることは、ないだろう。
奪っていく人は、
「そんなつもりはなかった」
「どう返せばいいか分からなかった」
と言いながら、ガンガン笑顔で奪っていくだろう。
でもな。
そうやって、奪われ続けながらも、
限界を超えてさらに
いろんな人に与えていくとどうなるか?
100人に1人くらいの確率で、
同じような「真に与える人」に出会うことができる。
それまでの徒労がない限り
会えるはずもなかったような人たちに、会える。
同じように「奪われる痛み」に傷つき、
それでも人の善性と光を信じ続けた人たちに。
そう。だから。
与える人が、「報われる」んじゃない。
与える人が、「残る」んだよ。
99人に与え続けても、
その99人からは、何も返ってこない。
でも、最後の1人に出会える。
99人に与え続けなかったら会えなかった人に出会い、
そこで本当に豊かな環境と愛に恵まれるんだ。
「イグさん。
奪い合えば、なくなるんです。
でも、譲り合えば、余るんです」
「その余りが、次の未来の種子になるんです」
これは最近、友から聞いた話。
多くの裏切りを越えて
その境地にたどり着いた言葉には、
真実が含まれていると思う。
99人から「回収」しようなんて思っているうちは
まだまだ足りない。
「これだけがんばっているのだから」と
未来を期待しているうちは、きっとまだ遠い。
そのあとの絶望を超えて、やっと現れる人がいる。
すべてを奪われた最後の大地に
両足で立ってたどり着いた人たちが残る。
そんな人たちが育てる小さな芽は
きっと巨木になるのだろう。
そんな人を目指して行ければと思います。
ではでは。
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