スポンサーリンク

悩みが100%吹き飛ぶ方法。

悩みが100%吹き飛ぶ方法。

まずは個人的な世界観の話なんだけれど、

「万物は入れ子状でなりたっている」

と考えている。

たとえば、

地球があって、

太陽系があって、

銀河があって、

宇宙がある。

そして、その宇宙も、
「より大きなもの」の構成要素の
小さなひとつでしかないように思っている。

ずっとずっと、ロシアのお土産
マトリョーシカのように、入れ子が続いているのが
世界の正体だと考えている。

(あくまで、個人的に)

そしてそれは、
小さい世界にフォーカスを向けた時にも
同様のことが言えると考えている。

たとえば人間社会があって、

あなたや私という一人の人間がいて、

その一人一人の人間には、たくさんの細胞があって、

細胞をズームアップしてゆくと原子がある。

そして、その原子の中には、
おそらく私たちが考えているような
大宇宙が広がっている。

そして、その宇宙をさらにズームアップしてゆくと、

銀河系みたいなものがあり、

太陽系みたいなものがあり、

地球みたいなものがあり、

そこに何者かが棲んでいて、社会が構成されていて、

その中の一人は、
また人間と同じように悩み生きている。。。

そんな風な、ややファンタジックな世界観を持っている。

尊敬している師は、それを

「部分即全体」
「フラクタル」

と呼ぶが、私はこんな世界観を
中学生くらいの時から持っていた。

ちなみに、

その入れ子状の世界は、
物理的な空間だけでなく、いわゆる
「あの世」も、そんな感じなんじゃないかな?
と思っている。

つまり。

天国も地獄もなく、万物は
「あるひとつの場所」から地上に
何かを体験するためにやってくる。

その「あるひとつの場所」が、

「ああ、こんな体験してみたいな」

「こんな体験もアリかも」

と、好奇心の矢を放った数だけ
人や生物、無生物が生まれ、
地上に体験をするためにやってくる。

なので、人に限った話をしても、
聖人も有名人も富豪も、
犯罪者も名もなき者も貧者も、
「あるひとつの場所」からすれば、
「体験をしてみたいカタチ」の一つなので、優劣はない。

そして、

体験が済むと、私たちは平等に
「あるひとつの場所」に還ってゆく。

そこに、裁きはない。

ただ「体験」という生きた情報が
「あるひとつの場所」に付加されるだけだ。

そして、そんな「あるひとつの場所」ですら
何か、より大きなものの構成要素の一つ。

私たちが、人間社会の構成要素の一つだったり
地球の構成要素の一つだったりするのと変わらない。

私たち一人一人が

「こんな自分もいいかも!?」

「もしかしたら、こんな自分もアリかも!?」

「まさか、こんな自分も
自分の中にいたりして!???」

と想像したら、その想像の矢は、
どこか知らない異次元で世界を生み出し、
私たちに「疑似体験」「イメージ」をさせるために
冒険し、私たちの脳内に帰還する。

そして、私たちが悪者になるイメージをしても、
イメージをした後、その悪者を裁かないように、
この世の悪者も、地獄に行ったりはしない。

そんなようなものなんじゃないかな?
と考えている。

さて。

話が超絶飛躍して始まったけれど、
今回、話したいのは、そんなぶっ飛んだ話じゃない。

シンプルに、

「ものを見るのには、様々な入れ子、
ものさし、尺度があるよね?」

という話。

たとえば、あなたが今、
ある一つの悩みに
心を握りつぶされそうになっていたとする。

でもそれは、

人類が抱える問題からすれば、
とるに足らないものかもしれないし

明日、生きていられるかどうか
わからない人にとっても、軽い問題かもしれない。

他の人からすれば、
「そんな悩み、ぜいたく!」
と言われるかもしれない。

少なくとも、その悩みを宇宙から見たら
間違いなく、本当に小さな小さなものだ。

おっと、ここで勘違いしないでほしいのは、

「だから、悩んでいてもしょうがないよ」

「スケールを大きく持とうよ」

という話をしたいわけじゃない、ということ。

万物は、入れ子状だ。

大きなものさしで見れば、
はかっている事象は、相対的に小さくなる。

でも逆に、小さなものさしで測れば、
事象は大きくなる。

あなたが、ほんの小さな
かすり傷を負ってしまったことは、

あなたの細胞、原子、
そしてその奥に広がるであろう大宇宙にとっては、
滅亡クラスで大変な騒ぎになるわけだからね。

今回、問題にしたいのは、

「悩んでいる時は、
たくさんある入れ子、ものさしの中から、
最も不適切にフィットしているものを
無意識に選んでいる」

ということ。

ものさしは、それこそ無限にある。

でも、そんな膨大なものさしの中で

最も自分を苦しめ、
最も今、不必要なのに、
最も、ジャストフィットしてしまっている

「世界観のものさし」

を選んで測っている、というのが、事実だ。

「あの人って、いいなぁ、
それに比べて、私は。。。」

と悩んでいる時は、

「あの人と私の関係性の中で、
最も近視眼的に見た時に、
あの人の方が優れている箇所を測るものさし」

を、わざわざ選んで、
その入れ子に自分と「あの人」を入れて、
ウツウツしながら、測っている。

「もっと、お金があればなぁ。。。」

と悩んでいる時も、

「自分とお金の関係性の中で、
最も近視眼的に見た時に、
不足している箇所を測るものさし」

を、膨大なものさしの中から選んで、
他の可能性を排除して、入れ子に引きこもって
ウツウツしている。

もちろん、悩むことは必要だし、
それがダメ!って言うつもりもない。

私も、ウツキャラだし(笑)

でも、ある一方で、

「この入れ子以外にも、世界はあるんじゃない?」

「このものさし以外にも、
ものさしは無限に散らばっているじゃない?」

と目線を上げてみると、いいんじゃないかな?とは思う。

あなたの悩みは、宇宙レベルで見たら
大したことない。

しかし、あなたの悩みは
あなたの原子レベルから見たら、

「カミサマ、もう悩むのをおやめください!」

と、あなたの中にある世界全体が、
存亡をかけて、あなたに祈りを捧げているかもしれない。

今の入れ子。

今のものさし。

それを手放さなくてもいいから、
一度、別の入れ子とものさしも、手に取ってみるといい。

そんな風に思う。

なにかの参考になれば、幸いですわ。

ではでは。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク