学習と貢献の、最悪なコラボレーション。
色んな人からの相談の中で
けっこうな比率で聞くのが
「周りにいる人のアドバイスがうるさい」
というものがある。
中には、
「アドバイスをもらわないようになりたいので、
何かアドバイスください」
っていう、
「その時点で、ちょっとおかしいだろう?」
なんていう相談も来る(笑)
さてさて。
私に相談に来る人。
その人が、単なる雑談で
「こんなことがあるんだよねー」
と話し始めたことに対して、別の人が、
「それは、こうした方が良いよ」
とか、
「そういうのは、○○と言ってね・・・」
とか、
「こう考えてみたらどうだろう??」
とか、求めていないアドバイスを
矢継ぎ早にしてきて、それがウザいらしいのだ。
本人としては
「単なる雑談なんだから、
うなずいれくれるだけでいいのに!」
「放っておいてよ!」
という気分になるらしい。
アドバイスは、欲しい時に的確にしてもらえれば
これほどありがたいものはない。
けれど、アドバイスが欲しくない時に
無理矢理聞かされる話は、
騒音以外の何物でもない。
まぁ、当然だよね。
ただ、
ついアドバイスをしてしまう側の気持ちも
とっても良く分かる。
なぜならば、私も以前は、アドバイスだと思って
「おせっかいじじい活動」
に精を出していたからだ(笑)
なので、
今回は、ついアドバイスをしてしまう人の
心理と思考回路を分析してみよう。
さて、
基本、アドバイスをしたがる人は
勉強熱心な人が多いので、
常日頃からたくさんの知識をインプットしている。
そして、中には、
その人に大きなインパクトを与えるような
「珠玉の学び、気づき」
もあるに違いない。
そして、
「こんな学びを知っているなんて、
もしかしたら私はスゴイ人なのでは?」
という勘違いが始まり、
それを誰かにアウトプットしたくて
たまらなくなるわけだ。
その「自分スゴイんじゃね?症候群」が
おせっかいアドバイスの根本要因である。
それにさらに拍車をかけるのが。
「貢献」
という言葉。
特に自己啓発系の勉強を
ある程度してくると、
「人に貢献しなさい」
みたいなキーワードに
遅かれ早かれぶち当たる。
たしかに「貢献」とは素晴らしい事なんだけれど、
いわゆる「貢献初心者」は、
真の貢献の意味を考えないことが多い。
私も含めて、たいていは「貢献」という言葉を
「免罪符」として利用し始める。
どういうことかと言うと。
そもそも勉強をしているわけだから、
他の人が知らないことを知る確率は高い。
そして、今まで自分が知らないことを
知った訳だから、
自分自身が、なにかスゴイ人になったような気になる。
まるで、初めてナイフを手に入れた
中学生男子みたいな心境だ。
もしくは、初めて化粧をしてみた
中学生女子みたいな心境なのかもしれない。
「この知識を使ってみたい」
「この知識をひけらかして、
スゴイ人だと言われたい。思われたい」
という気持ちが、ムクムクと湧き上がってくる。
そして。
その、勉強をしているまさにその時に、
「貢献」
というキーワードにぶち当たるわけだ。
こうして、知識をひけらかす大義名分を
手に入れてしまう。
つまり、
「私は、この知識を人に伝えることで
貢献をするのだ」
という、超単細胞な思考回路に行きつく、ってわけ。
「貢献」という言葉の真の意味を探求するのではなく、
その場に都合よく転がっていた免罪符、大義名分として
「悪用」するわけだね。
まぁ、私もやっていたことだし、
今もやってしまうことがあるから
その人たちを責める資格はない。
ただ、しばらくすると
「あ、私って、けっこう痛い存在だな」
と、自分が恥ずかしくなるから
ほどほどにしておいた方が良いと思うよ。
そう。
中学生男子がナイフを持って
いきがっているのを大人が見るように。
中学生女子がチグハグな化粧をして
鼻高々にしているのを、大人女子が見るように。
なので、
自分がどんなに素晴らしい
と思っている知識だとしても、
アウトプットをしようとする時は、
「相手の反応を見ながら」
「相手にアウトプットの許可をもらいながら」
やった方がいいんだろうなぁ、
なんて思う次第。
まぁ、「自分スゴイんじゃね?症候群」が
結果として相手のためになったりすることもあるから
判断は難しいんだけれどね。
というわけで、
アウトプットと貢献ということについて
語らせてもらったけれど、
あなたに、読んでもらっていいですか?
って、我ながら許可もらうの、遅ぇっ!!!!(笑)
ではでは。