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内包するもの。

よく、
 
「AとB」
 
みたいに、二項対立しているような表現ってあるじゃない?
 
 
たとえば、
 
「プライベートな私と、社会的な私」
 
とか、
 
「日本と、世界」
 
とか、
 
「地球と、宇宙」
 
とか、
 
「この世と、あの世」
 
 
 
みたいな感じ?
 
 
 
でも、
 
 
今書いたものって、実は
 
「Aとは全く別のBがある」
 
っていうものじゃないんだよね。
 
 
あえて、そういうものを選んで書き出したんだけれど、
すべてが
 
 
「Bの中に、Aが一部として含まれている」
 
「BにAが内包されている」
 
 
というものだと思う。
 
 
 
 
これは意見が分かれるものもあるかもしれないけれど、
 
 
無人島で過ごしているのでないかぎり、社会的な自分の中に、
プライベートな自分が一部として存在するわけだし、
 
全世界の一部に日本という国は存在するわけだし、
 
宇宙全体の中の星のひとつとして地球があるわけだ。
 
 
 
それと同じように、
 
「あの世」
 
っていうものがあるのだとしたら、
それは今とは完全に別のものなのではないようにも思う。
 
 
ちっぽけな「この世」っていうものが
広大な「あの世」の、ごくごく一部として、ある。
 
 
そんな気がするんだよね。
 
 
昔は、
 
「天下統一!」
 
「全国制覇!」
 
といった「天下」「全国」が、日本を差していたけれど、
実はもっと広い「世界」という尺度があり、
さらに「宇宙」という尺度まで見えてきている。
 
もっと時代が進んだら、宇宙よりも広い尺度が
出て来るような気もする。
 
 
 
 
 
 
「ふーん、
 で、なんなの?」
 
 
と言われると、今回の記事は
困ってしまう部分もあるんだけれどね(笑)
 
 
 
でも、
 
物事の見え方、見方という意味において、
けっこう変わるかな?なんて思うんだよね。
 
 
 
自分にとって、近しいものや親しみのあるもの。
 
自分にとっては、異なもの。
 
 
これって、どうしても
 
 
「 A VS B 」
 
 
みたいに捉えがちだ。
 
 
 
でも、一歩俯瞰的に捉えて、
 
 
「私も、あの人も、人間って言う意味では
 そのうちの一人だな」
 
とか、
 
「仕事もプライベートも、
 私の時間という意味では、同じだな」
 
とか、
 
「あの世に旅立つのは恐ろしいけれど、もしかしたら
 この世もあの世の一部なのかもしれない」
 
 
なんていう風に考えられると、
 
少し別の気分を味わうことができるかもしれないな、
なんて思う次第。
 
 
 
ものごとの見方、見え方は、
必ず別の見方がある。
 
 
対立しているようなものも、
実は違う視点から見れば、一部だったり仲間だったりする。
 
 
いろんな視点をもっていると、
その分、気楽にすごせるかもしれないよね。
 
 
なにかのインスピレーションになったらうれしいです。
 
 
ではでは。

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