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肉の人。骨の人。

先日、セミナーに参加してくれた仲間と
とある有名人について話していた。
 
個人的には、なぜあの人が
もてはやされるんやろなー、と
やや不思議に思っていたんだけれど、仲間は、
 
 
「ああ、あの人は、肉の人なんすよ」
 
 
という見解を示してくれた。
 
 
 
肉の人。え?
 
 
 
「いやね。
 あの人に注目して、集まってくる人は
 あの人が持っている ” おいしいところ ” に
 興味があるんですよ。肉です。肉」
 
 
 
ひー!遠慮なくぶった切る、えげつない表現だ。
 
 
だが!!
 
好きだぜYOU!!
 
 
 
 
つまり。
 
その人が人気なのは、
 
 
「あの人と仲良くなると得になりそう」
 
「経済的、ビジネス的、社会的にメリットがある」
 
「欲求が満たされそう」
 
 
という「おいしい肉」を持っているから、
その「肉」につられて、みんなが集まっている、
ということ。
 
 
 
それはそれで、そんなグレートな「肉」を
用意できているのだから、偉大だ。
 
が、その上で、
 
ワタシ自身がその有名人に感じていた
違和感の正体が、なんとなくつかめた気がする。
 
 
(ちなみに、ワタシは
 その有名人さんとは直接会ったことがないし、
 向こうは全然ワタシのことを知らないんだから、
 単なる印象ですすみません)
 
 
 
スパイシーでおいしい話をするんだけれど、
そこに、その人の魂とかメッセージが見えない。
(少なくとも私には)
 
まるで「加工済み骨なし肉」のように、
食べやすいけれど、ケミカルな軽薄さを感じてしまう。
 
 
 
実際は分からない。
ただ、そういう類の人は、
自らが「肉の人」になろうとしているようにも思う。
 
 
 
自分に寄ってくると、おいしい思いをさせてあげるよ。
 
自分に貢げば、あなたの欲を満たしてあげる。
 
 
そのために、自分の「おいしいところ」を
どんどんと、より魅力的にしていく努力をする。
 
より、じゅーすぃぃぃぃ!な肉をアピールするわけだ。
 
 
 
いやね。
 
別にそれが悪いわけでもないし、
むしろ敬意すら払う。
 
 
 
その上で。
 
 
 
自分が「肉の人」となるように
自分に貼りついている美味しさに磨きをかけていながら
 
 
「誰も、本当の自分を分かってくれない」
 
とか、
 
「俺のお金とかパワーに注目する奴らばかりだ」
 
とか、
 
「結局、私のカラダ目当てだったのね!?」
 
 
とか言うのは、お門違いなんじゃないかなー、
とは思う。
 
 
 
そう。
 
 
社会的地位。お金。美貌。
 
そしてそれを手に入れるための知識やスキル。
 
 
 
それらは、多くの人が欲しがる「肉」で、
それを持っている人は、人気が出るだろう。
 
 
しかし「おいしい肉」を育てれば、
その「おいしい肉」に魅了された人が集まるのは
あたりまえ体操。
 
 
 
そうではなく。
 
 
 
人格、性格、あり方。
それを一貫性を持って支える気骨。
 
そんな「骨」を強くしていこうという
意志がある人のまわりには、
その「骨」に惹かれた人が集まるのだろう。
 
 
 
自分の「肉」を育てれば、
その「肉」に注目した人が集まる。
 
自分の「骨」を育てれば、
その気骨に触れた人が集まる。
 
 
「肉」に魅了された人は、
そこに「肉」がなくなれば、離れる。
 
「骨」に惹かれた人は、
そこに「骨」がなくなれば、離れる。
 
 
 
自然だよね。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
「肉」は見えやすく、おいしそうで、
欲を満たしてくれそうだ。
 
 
「骨」は見えにくく、すぐに役立つわけでもなく、
真に触れないと、強さは分からない。
 
 
さらに、「肉」も「骨」も、相性もあるだろうし、
そのどちらもがあることが望ましい。
 
 
「骨なし肉」だと、食べられて終わり。
 
「肉なし骨」だと、集まるのは余程のマニアだ。
 
 
だから、できることならば、
 
気骨ある人格にもとづいた肉を提供できるのが
集まってくれた相手も、
そして自分も幸せになる状態なんだろうね。
 
 
。。。とまぁ、
 
そんなことを書いているワタシ自身は、
その有名人さんほどの肉はなく、
骨もどうなのよ?という
 
「肉も骨も適当」
 
状態やんけー!
とのツッコミを華麗にかわしつつ、
日々精進していきたいと思いマッスルボーン!!!
 
 
 
ではでは。
 

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