スポンサーリンク

力は外に。

 
おかげさまで、最近特に
様々な分野で活躍されている方々と
接する機会がある。
 
 
その中で、再認識するのが
 
「力は外に使ってこそ、美しい」
 
ということ。
 
 
 
非常にあいまいだけれど、
人にはそれぞれ
 
 
・「自分自身」
 
・「身内」
 
・「外」
 
 
というレイヤー(層・階層)があるように思う。
 
 
 
「自分自身」は、読んで字のごとく本人そのもの。
 
 
 
そこからひとつ抜け出た先に、
「身内」がある。
 
 
それは例えば、家族であったり、
 
パートナーであったり、
 
自分の属するコミュニティであったり、
 
友人であったり、
 
勤め先であったり。
 
 
 
もちろん、これらにも、
「近い・濃い」関係と「遠い・薄い」関係があり、
それが何層にも分かれていて、
さらに絡み合ったりもしているだろう。
 
 
 
とはいえ、
 
「自分がその人その対象に
 なにかしらの影響があるだろう」
 
というのが、今回の「身内」の定義だ。
 
 
 
そして、「外」は、
自分が影響を及ぼすことはできないものの、
自分の意識にあがっている世界。
 
 
それは例えば、
 
知っているけど直接かかわりのない
有名人であったり、
 
興味のある分野のことであったり、
 
自分が手に入れたい環境だったり、
 
もちろん、憧れや夢であったり。
 
 
 
 
で。
 
 
基本的に「自分自身」を磨いてきた結果、
今の自分が手に入れた力を、
 
 
「身内をコントロールするために」
 
「自分がいいカッコするために」
 
 
使うと、その人の持っている力は
ガンガン失われていくように思う。
 
 
 
親が子を強引にコントロールしたり、
 
パートナーにイニシアチブを取ろうとしたり、
 
コミュニティへの影響力を
金銭的・あるいは社会的なパワーで維持しようとしたり、
 
自分のために仲間を利用しようとしたり。
 
 
 
仲間や身内を大切にしているつもりが、
いつのまにか「自分」の所有物のように錯覚し、
 
「自分を律する」のではなく、
「身内を律する」形で、なにかを行使すると、
その人の世界は小さくなってゆく。
 
 
もちろん、そうする必要がある場合もあるだろうけれど
そればかりだと、なんか「淀む」違和感を感じる。
 
 
 
「やべ。このままだと、わがままになる」
 
「相手に傲慢になっていってしまっている」
 
そんな感覚。
 
 
胸に「淀む」感覚が出てきた時、
それを戒め、立ち止まり、相手を尊重できる
自分でありたいと願う。
 
仮に、その人との関係性が変わったとしても。
 
 
 
そう。コントロールではなく、
 
なんらかのチャレンジ、
あるいはコツコツとした鋭意で、
「外」を広げようとする自分でありたい。
 
「身内」には、「自分自身」の
応援者でいてもらえるような関係でありたい。
 
それも、ことさらにアピールすることなく。
 
 
自分の「身内」の中で
自分がどれほどの影響力を持っているのかを
「外」にアピールするのは、さして美しくない。
 
 
 
世界は広い。
 
どんなになっても上はいるし、
どんなになっても自分を知らない人がいる。
 
 
そこで影響力があることを うそぶいても、
サル山のサルだということを
自ら暴露しているようなものだ。
 
  
 
 
ま、
 
今回のは理想であり、
自分がどれほど、その理想から遠いのかも
自覚しているつもりだ。
 
 
ただ、とてつもなく魅力的な人々に会えば会うほど、
自分の中にある器の小ささと、その小さな器で
コントロールしたくなる我欲があることを知る。
 
 
だからこそ、こういう発信をすることで
自分を振り返れればな、と思うのでござりんす。
 
見失ったら、相手に失礼やし。
 
 
 
だから、力は外に。
 
 
 
どうか見守ってくださいな。
 
 
 
ではでは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※ シェア歓迎。
 
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク