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神社にて。

本日は、ちょびっとだけ
エネルギー的なお話かな?
 
 
 
先日、飲んでいる時に友人にふと、
 
 
「イグさん、神社ってよく行きます?」
 
「行ったら、どんな風にお詣りしてます?」
 
 
と、何気なく質問された。
 
 
あら、飲んでる時の雑談の振りとしては
たいへん高尚でございますわね。
 
 
 
えーと。
 
神社は、まぁまぁよく行く方なのかな?
 
 
で、お詣りの仕方といっても、一連の作法については、
ひととおり意味も知った上で、その通りやっている。
 
なので、その辺の作法については
今回は、はしょるけれど。
 
 
その上で、他の人はどうか分からないけど
やっているのは、
 
 
・鳥居をくぐるのは「呼ばれて」から。
 
・お参りの時は、基本お願い事もしないし、
 ことさらに感謝も唱えない。
 
 
ってことかな?
 
 
 
 
まず。
 
 
神社につくと、すぐに中に入らず、
鳥居の前(の端)に立ち、
しばらく目をつぶり、静かにたたずむ。
 
 
すると、「おいで」と、
体が引っ張られる感覚があるので
その「許可」「招待」を待ってから
おじぎをして入る。
 
 
これは、すぐにグイっと引っ張られる時もあれば
 
「あ、、、あれ?」
 
と、なかなか感覚がない時もあるけれど、
そのうち必ず引っ張ってもらえるので、
それを待つ感じかな?
 
 
 
で、手水舎で手と口を清め、
二拝二拍手一拝でお詣りをする。普通に。
 
 
 
ただ基本的には、お詣りの時に
お願い事とかはしない。
 
昔はしていたけれど、最近はしていない。
 
 
 
あと、感謝を伝えるみたいなことも、
意識的にはしない。
 
もちろん、「ありがとう」が
湧き上がってもくるのだけれど。
 
 
 
なかなか説明しにくいけど、
おそらく感覚的には「リセット」が一番近い。
 
 
 
 
たとえて言うのならば。
 
自分自身がひとつの「お椀」だとしたら、
お詣りする前には、そこに淀んだ水がたまっている。
 
 
で、神社は、
そんな「お椀」にたまっている、ちっぽけな水なんて
ものともしない大量の清い水が循環している。
 
大きな湖のように、
ピンと静かに、波ひとつ立てずに
深く深く、たゆたっている。
 
 
そんなイメージ。
 
 
 
そこで、
 
しずかにそっと
自分という「お椀」の中の水と、
神社という大きな水を同調させる。
 
 
しずかに。しずかに。
 
 
 
すると、淀んでいた水が清い水へと替わり、
元の淀んでいた水も、
大量の清い水に浄化され、清く変化してゆく。
 
 
そこに言葉はなく、
一種の瞑想のような感覚に包まれる。
 
 
 
そして、その感覚を充分に味わわせていただいたら、
すがすがしい気持ちで目を開ける。
 
 
 
で、鳥居の外でも礼をして去る。
 
 
そんな感じ。
 
 
 
 
お願い事もしないし、
ことさらに「ありがとう、ありがとう」なんて唱えない。
 
 
そんな風にお詣りをしておりますが、
そんなん、人それぞれでええんやで?と
心の底から思うし、神社に関しては
もっともっと詳しい方々もいらっしゃると思うので、
どうぞおゆるしくださいませ。
 
 
 
ではでは。
 

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