唐突だけれど「成長」って、どんなイメージ?
人によって様々だと思うのだけれど、
「先へ先へ!」
「より高みを!」
「より上のステージへ!」
「昨日よりも今日、今日よりも明日!」
と、目線が上の方に向いている感じもするよね?
「天」を目指す、みたいな。
少なくとも私はそんな風に思っていたし、
今でもそんな成長もあると思っている。
ただ、年齢を重ねるにしたがって
「ああ、それだけが成長じゃないな」
と、おぼろげながら見えてきてもいる。
たぶん、「天」を目指す成長とは真逆の、
「地」に深く根を張る成長もあるように思う。
「上に上に」ではなく、「下に、横に」。
「目立つ!」ではなく、「人知れず誰かを照らす」。
「より軽やかに自由へ」ではなく、「より重く責任を」。
「自分都合ファースト」ではなく、
「自分都合ファーストの人ファースト」。
「昨日できなかったことを、今日できるように」ではなく、
「昨日までやっていたことを、今日は戒めるように」。
「新しいスタートを私が」ではなく、
「後始末の幕引きを私が」。
そんな成長も大切なように思えてきている。
それを成すために、今、どの人がどんなことを思い、
日々を過ごしているのかを考える。
そして「根」回しをする。
「根回し」と聞くと、ネガティブに捉える人も
いるかもしれないけれど、
人と人とが気持ちよい未来を共有するためには
「誰に、どの順番で」
「どのタイミングで、何を」
伝えるのかは大事だと、私は思っている。
順番が違ったせいで。
あるいは
「もう知ってたでしょ?」
「私からあらためて言わなくても分かってるでしょ?」
という傲慢のせいでうまく行かなくなったことを、
数えきれないほど見てきたし(笑)
そんな、基本的には目立たないし
ちっとも陽の目を見ない成長もあるな、と。
(陽の目は見ないよな、だって根なんだもん)
しかし。
そんな「地」に根を張る成長は、
個人や組織に安定感、そして包容力をもたらす。
決して高く尖ってはいないし、
賞賛も浴びないけれど、
見えないところで、広く深く伸びてゆく。
そう。
自分の決めた「天」を目指し、とがっていくと、
たしかに欲しいものが手に入るだろうし、
脚光も浴びるようになるだろう。
ただ、とがるという事は同時に
世界を狭くすることにもなりかねない。
「分かる人だけついてこい。
あとの人間関係はいらない。切る」
そうやって「剪定」しているうちに、
世界を自ら狭くしてゆく。
そうなると、
「私は ”世界” の中で万能だ」
「私の意見と違うものは、
切って見えないようにしてしまえ」
と、自分が切って切って作ってきた
狭い世界の中で万能感に浸ることになる。
しかし、人は、
仮に万能になれても、全能にはなれない。
上へ上へと尖って「天」だけを目指し、
足元の「根」をおろそかにした先に待つのは。
もちろん、倒壊。
自分の力だけで勝ち取ってきたと思っていた栄光は、
実は多くの人の献身に支えられていたことを知る。
「そんなことは、分かっている。
大切な人を、私は大切にしている」
きっとそうだろう。
でも、それを決めるのは本人ではなく、
支えている方の人たちだ。
「天」に幹を伸ばすのであれば、
それと同じかそれ以上に
「地」に根を張らなければバランスを保てない。
天と地のバランスを失したら
まずは心身に異常のサインが出て、
その後、自らの倒壊を目の当たりにするだろう。
だから。
「上に」だけでなく「下に横に」
「風と光と太陽」だけでなく「ミミズ這う大地に」
「憧れの人との出会い」だけでなく
「もの言わぬ旧き友への心配り」を。
そんな風にできる人間に
少しずつなっていきたいと思います。
ではでは。