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「在りたい姿」と「在る姿」。

今回の話は、ふだんに輪をかけて
偏った意見だから、気をつけて!
 
 
さてさて。
 
 
おかげさまでライターという
「言葉を使うお仕事」をさせていただいているんだけれど、
そんな中、つくづく思うのは、
 
 
「言葉って、なかなかウソツキだな」
 
 
ということ。
 
 
 
ここからは完全なる自虐と暴露と
棚に上げることでお送りしていくけれど。
 
 
だってさ。
 
 
「ご縁に感謝!」とか頻繁に言葉で使う人ほど
そこまでご縁を大切にしないし(※イグ調べ)
 
 
顔文字とかをめっちゃ使う人ほど
心の中では泣いてるし(※イグ調べ)
 
 
「貢献」を口にする人が結局、自分ひとりが
目立つ道を選んでたりする(※イグ調べ)
 
 
 
 
いやね。
 
 
別に人はどう生きてもいいんやし、
ここで言葉を書けば書くほど、
 
「イグよ。あんたはどうなんだ?」
 
という事になり、こうかはばつぐんだ状態に
なるのは分かっている。
 
 
 
 
しかしまぁ、いちライターの実感値として
特に不特定多数に発信される言葉には必ず、
 
 
「○○だと思われたい」
 
 
という願望が絶対に入る、という現実は否めない。
 
 
それはヒャクパー避けられないし、
避ける必要もないと思う。
 
 
 
 
なので。
 
 
その人の発信に触れただけで、
その人の在り方を知ることは出来ない、
 
ということは、覚えておいてもいいなぁ、
なんて思うんだよね。
 
 
 
 
だって、発信は、
 
 
「その人の、在りたい姿」
 
 
であり、
 
 
「その人の、いま在る姿」
 
 
ではないんだから。
 
 
 
 
 
その上で。
 
 
 
じゃあ、
 
誰かの「在りたい姿」ではなく
「在る姿」を知りたくなったら、どこを見ればいいのか?
 
 
 
まぁ、ここからは完全に偏った意見だけれど、
ワタクシ個人の現時点の見方としては、
 
 
【 その人自身の評価に対する反応 】
 
 
を見るのがヒントになるかな、と思いやす。
 
 
 
人は、自分がして欲しい評価もあるし、
マキシマムにして欲しくない評価もある。
 
 
誰だってポジティブな評価はうれしいし、
悪口を言われるのはイヤだ。
 
 
好きな人に「好き」と思われたいし、
好きな人が誤解をするような評価は否定したい。
 
 
 
そんな、あたりまえ体操の状態で、
 
「自分にされた評価に、どう反応するか?」
 
は、かなりその人の「いまの在り方」に迫っていると思う。
 
 
ポジティブな評価であれ、ネガティブな評価であれ、
その時に本人が発している言葉でなく、反応そのものを見る。
 
 
 
 
ポジティブな評価をもらった時に、
それを独り占めするのか?引っ込むのか?
 
 
ネガティブな評価をもらった時に、
我慢するのか?ニコニコするのか?戦うのか?
 
 
拡散するのか?収束するのか?
 
 
ポジティブな誤解だと感じた時、
黙っているのか?訂正するのか?
 
 
ネガティブな誤解だと感じた時に、
どこまでの人に、どのくらい話すのか?
 
 
攻撃してきた人に、どう対処するのか?
 
 
無視する人や無関心な人に、どうするのか?
 
 
全体を考えるのか?個人を考えるのか?
 
 
そして、それをどこまで伝え、どこまで継続するのか?
 
 
などなどなどなど。。。
 
 
 
 
 
そう。
 
 
これにはもちろん、正解なんてない。
 
 
どう生きても、どう反応しても
それがその人の正解なんだから。
 
 
その上で、そこに
 
 
普段使っている言葉の「在りたい姿」と、
反応自体の「在る姿」にギャップがあった時には、
 
「あー」
 
と思うだけだ。
 
 
  
 
 
個人個人にとって、評価は「事件」だ。
 
 
少なくとも、大切な人から
どう思ってもらえるのかが変わりそうな時、
その人の「在りたい姿」の仮面がはがれ、
「在る姿」の素顔が垣間見られるように思う。
 
 
 
、、、とまぁ、こんな風に書くと、
誰かをディスッているように感じる人もいるかもだけど
実のところは、逆。
 
 
 
最近は、
 
「在りたい姿」の化けの皮がはがれた時に見えた
「在る姿」が、とても美しく
 
 
「普段から、そっちで行けばいいじゃねぇか!」
 
 
と思う人が周りにたくさんいるんだよ。
いとおかしくね?
 
 
 
まぁ、いずれにしても、
人は、「在りたい姿」と「在る姿」のはざまで、
もがくんだろうなぁ、と思う。
 
もちろん、ワタシ自身も含めまくって。
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
不特定多数に発信される
言葉は「在りたい姿」を映し、
そして反応は「在る姿」を見せる。
 
 
「在りたい姿」も大切で、
いま「在る姿」を振り返ることも必要。
 
 
いつも理想的に生きていなくてもいいけれど、
言葉を休めて、自分のしてきた反応を
ただただ俯瞰する、ってのもアリなのかもね。
 
(↑ どの口が言ってんねん)
 
 
 
「言葉の使い手」としては、
現在どんな「在る姿」を、
誰に見せていることやら。
 
 
やれやれだぜ。笑。
 
 
 
  
 
ではでは。
 

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