スポンサーリンク

逃げると得るもの、失うもの。

とても個人的な好き嫌いだが、
 
「つらい時は、逃げてもいいんだよ」
 
という考えが、好きではない。
 
 
もちろん、人はそんなに強くない。私もそうだ。
 
だから、本当につらい時は、逃げ出したくなることもあるし、
私だって、逃げたことが何度もある。
 
 
ただ、忘れてはいけないのは、
 
「逃げた方より、逃げられた方が大変」
 
ということだ。
 
 
いやね。
たとえば大噴火とか津波とか地震とか、
爆発事故とかの時は、一目散に逃げろ!
 
 
ただ、「いま、とても、つらい。。。」という時は、
そういう非常時じゃないだろ?
 
なので、正確に言えば、
 
「つらい時には、逃げてもいい。
 ただし、残される関係各所にお断りを入れてから」
 
だと思っている。
 
 
つらい時には見えにくくなっているけれど、
実のところ、手を差し伸べてくれている人もいる。
 
また、最も迷惑をかけているところの人だって
きちんと向き合って説明をすれば、99%は鬼じゃない。
妥協案を探りあっていける。
 
 
ただ、
 
何がつらいのか、何が大変なのか、
今、どういう状況なのかを隠したまま、
逃げられてしまうと、何にもできない。
 
 
今までの経験上、うまく行っている人は、
つらい時やピンチの時になればなるほど
連絡が早く、押さえるべき人には状況を詳しく説明する。
 
うまく行かない人は、
つらい時やピンチの時になればなるほど
連絡が遅くなり(というか来なくなり)、
相手が本当に聴きたいことをはぐらかす。
 
 
その時は、なんとか自力で回避できたとしても、
手を差し伸べようとしてくれていた人の手は、
少しだけ離れる。
 
 
まぁ、もちろんそれで万事OKの人もいるし、
別の所で挽回する人もいるが、
確実に言えるのは、
 
「動ける範囲が狭くなる」
 
ということだ。
 
 
そりゃそうだ。
 
顔向けできない人が増えれば増えるほど、
動ける範囲は減る。
 
直接会うことがなかったとしても、
同じ業種/業界にいたら、噂は広まる。
 
 
で、結果どうなるかというと、
 
「逃げてきた人が集まるコミュニティ」
 
での活躍しか選択肢がなくなる、というわけだ。
 
 
具体的には、
路上生活者のコミュニティや、
詐欺のコミュニティ(サギるか、カモられるか)。
 
あとは、ごくごく一部の
新興宗教がらみ、
陰謀論提唱者、
スピリチュアル提唱者などになる。
 
(上記の方々に、私自身は特に
 ネガティブ感情は持っていない)
 
 
個人的には、
 
「どこでも、幸せであればいいじゃなーい!」
 
「類は友を呼ぶんだから、そこでがんばって!」
 
と思うので、そこで幸せであればなによりだ。
 
 
その上で、
 
せっかくなんだから、
自分の弱さを認めて、ピンチを認めて、
関係者に時間を作って向き合う方が、
成長につながるんじゃないかな?とは思う。
 
なぜなら、私自身が
完全にバックレた過去を未だに悔やんでいるから。
 
 
 
さてさて。
 
この際だから言っておくと、
 
「あなたは今のままで価値がある。今のままでいい」
 
というフレーズも、ぶっちゃけ苦手だ。
 
 
なぜなら、これを発信している人は、
意識的に言葉を隠しているからだ。
 
 
本来は、
 
「あなたは今のままで、今の価値がある。
 今のままでいいなら、今のままでいい」
 
なのだ。
 
なので、今以上を求めていないのであれば、
(そして充分な経済的・人的な蓄えがあれば)
それでいいとも思う。
 
 
ところが、そのメッセージを受け取る人は、
ほとんどの場合、「もっと」を求めている。
 
なので、そのメッセージを歪めて受け取り、
努力するのをやめ、
あるいは、さらに傍若無人に振る舞うようになりやすい。
 
メッセージ発信者が、
そうなることが分かって客集めをしているので、
当然の帰結と言っていいだろう。
 
 
今回の話は、完全に好みの話だ。
 
逃げても、経済的にうまく行く人はいるし、
逃げても、そこでまた同類の人(やカモ)に会う。
 
今のままでいいんだ!と開き直って
「嫌われる勇気」を曲解して生きても、
それはそれで、その人の人生だ。
 
 
その上で、
 
「そりゃそうなるだろ?」
 
ということに後で文句を言っても、
そりゃあ、天に唾を吐くようなもんだから
知りませんぜセニョリータ、ってだけの話だ。
 
 
めっちゃ自戒を込めて。
 
ではでは。
 
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク