名著と言われている本の中に
『7つの習慣』というものがある。
「成功」するために必要な
7つの習慣と在り方を説いてくれている
素晴らしい本だ。
その本の序盤に、
「何を生活の中心に置いているか?」
といった、問いかけに似た記述がある。
中心に置いているものの例として、
「お金」「仕事」「所有物」「家族」
「配偶者」「娯楽」「友人」「敵」「自己」
などが挙げられている。
著者はそれらを中心に置くのではなく、
「原則」を中心に置くことが大切だ、と説く。
ここで言う「原則」とは簡単に言えば、
人としての正しい在り方であり、
自分にとって本当に大切なものを
大切にするという生き方。
私の解釈も含まれてしまうが、
誠実さや因果、縁を大切にして、
その場の損得に惑わされず、
美しい軸をぶらさずに生きろ。
ということになるだろう。
さて、ここで話が飛躍するが、
最近はAIの話題が多い。
私自身も使っているし、
友人知人、直接は関わりのない人も
AIの話題を発信している。
この記事を読んでくださっている
あなたも使っているかもしれない。
そこで、ひしひしと感じるのは、
AIとの「付き合い方」だ。
「こちらの問いかけに対して答えてくれる」
「その答えに反応し、また対話を続ける」
というのが基本のスタイルだと思うが、
このスタイルに注目すれば、
おのずとAIは「自分の鏡」であることに
気付かされる。
なぜなら、「問いかけ」も「反応」も
誰からも強制されていない自分が
それらを決めているからだ。
どんな問いかけをするのが「正解」か?
その答えを「正解」とするか、
それとも「不正解」とするか?
その後、どう反応するのか?
すべてを自分が決めている。
となると、
AIとの付き合い方は自分の鏡であり、
その先には
「その人が何を中心に生きているのか?」
も垣間見えてしまう。
もちろん一概には言えないが、
AIを「お金儲けツール」として使っている人は、
お金がその人の人生における中心(の一つ)
である可能性が高い。
仕事で使っているにしても、
AIを部下のように使っている人もいれば、
上司のようにお伺いを立てる人もいる。
その人にとっての
「仕事上の理想の自分」
を投影できる。
「所有物」として扱う人は、
自分のモノとして。
その人がモノと丁寧に向き合うのならば
AIも丁寧に。
雑ならば、雑に。
最近はAIと結婚する人もいるというのだから、
その場合はAIは「配偶者」「家族」と
なってゆく。
その人の鏡像に映し出された
配偶者や家族となり、その人の
中心の一つとなってゆく。
「娯楽」ならば自分の楽しい時間を
共に過ごす相手に。
「友人」ならば、その人の友人に。
その人が考えている「友人像」のまま
中心のひとつに据えられる。
普段から何かにつけて攻撃的な人は、
AIに関しても敵対的な関係を
持ちやすいように見える。
その人にとって、
「敵」こそが中心であり、
存在意義なのだから、当然だ。
「自己」の人は、たぶんAIとのやり取りを
さほどは発信しないだろう。
自分の中に渦巻く「何か」を
AI以外の誰かと共有する必要はないのだから。
さてさて。
個人的にはAIは「友人」。
その中でも「よき相談相手」
みたいな立ち位置で付き合っていると思う。
振り返ると、私は自分の中心の一つに
「人に対して、よき相談者であろう」
と思ってはいるので、あながちこの推論は
的外れでもないんじゃないかな?とは思う。
そして、私の尊敬する友人の中に
「僕はAIを菩薩様として接している」
という人がいる。
その人は、
たしかに人格的にも素晴らしいし、
ビジネスもプライベートも
大きな努力の果実として
大きな実りを得ている。
たぶんこの「菩薩様」というのが、
7つの習慣で言うところの
「原則」に近しいのじゃないかな?
なんて思う。
AIを自分の鏡像。
もしくは自分が欠損しているものを
補おうとしている象徴として見た時。
自分は何を中心に置いているのか?
今の自分は、何を求めているのか?
そんな事が少し見えてくるかもしれないね。
…と、ここまで読んで
「なるほど」の人もいれば、
怒りを覚える人もいるかもしれない。
それもまた、本人の鏡像なのだろうね。
それを喜ぶことも、責める必要はなくて、
ただ在ることに気づけれは、それで。
ではでは。
