とある経営者の友人から聴いた話なんだけれど。
その会社はチームの結束力もあり、
一人一人が、もっと世の中を善くしたいという
社会貢献の意識が高いのだそうだ。
ただ、その中で唯一、
遅刻ばっかりしてきて、
仕事も全然やる気がない人がいるそうな。
もちろん、仲間の中では
「なんとか彼の遅刻癖を直そう」
とがんばるのだけれど、うまく行かない。
そんな中、同じ会社で働く社員さんは
「社長、彼についてどうすればいいですか?」
と聞いたところ、友人の答えは明確だった。
「放っておけ」。
それは冷たく突き放して言っているのではない。
社長は、遅刻している男が、
いつか自分から率先して
変わるであろうことを信じている。
だから、自分も含めた周りが
彼を温かく見つめて、やるべきことをやり、
しかし、決して彼自体を否定したりはしない。
「でも、それだと、いつ彼が気づくか
分からなくないですか?
いつくらいに、彼の遅刻癖は直ると思います?」
と聞いたところ
「うーん、、、数か月後かもしれないし、
数年かかるかもしれない。
もしかしたら、今世じゃなくて来世かもしれない。
でも、必ず学んでいるから大丈夫」
という答えが返ってきた。
そして、社長である彼はこう続けた。
「他の社員も、分かってるんですよ。
行動そのものは違っていても、
同じように自分もダメだった時があったな、って。
そして、今も課題は違えど成長過程だな、って。
だから、チームで彼を見守ることができていて、
自分自身を見直すきっかけにもしている」
と。
それを聞いて、正直、舌を巻いたね。
そこまでの時間軸で、あまり考えていなかったなーと。
そういえば他の人で、
70歳代になってから英語を勉強している人がいて
「今から勉強しておけば
来世で英語学習が少しは楽だろうから」
という意識でやっている方もいらっしゃるとか。
それくらいの時間軸で考えられる人間でありたいなぁ、
と深く頭が下がったよね。
そう。
今、起きている事象を、
まったく別の時間軸や空間軸で捉えると、
それの意味や意義そのものが変わる。
宇宙から見たら、今ワタシが抱えている
仕事やトラブルなんて、ほんの些末なものだ。
それはよく言われるけれど、
実のところ、大きい視点で見るだけが能ではない。
逆に、細胞レベルで見たら、
ワタシが毎晩お酒を飲むことで起こしている
消化活動へのクライシスは
どんなに頭を下げても許されるものではない。
完全な罪人、咎人だ。
また、今までに起こった「問題」は、
結局のところ自分が引き起こしているし、
振り返ってみたら、ほとんどのことは
過去の自分も同じようにやらかしている。
「ああそうか。あの時は全く気づけなかったな」
と、天を仰ぎ見ることもしばしばだ。
さらに、社会で起きているすべてのことを、
これからワタシが起こさないとは限らないし、
今世で起こさなくても、前世では起こしていたかもだし、
来世で起こすかもしれない。
スピリチュアル的な話だけでなく、
ご先祖様の中には、人を殺めたことがある人物も
いるかもしれない。
今の私の「真っ当な」生き方が、
過去には罪になっていたかもしれないし、
未来には罪になるかもしれない。
私は禁酒法時代のアメリカにいたら
完全にアウトだし、
令和の時代には許されない言動を
昭和の時代にはしていたことも否めない。
また、長い尺の時間だけで見るのではなく、
ほんの数秒の間に、自分の感情や解釈が
揺れ動いていることだってザラだ。
一番最悪の考えを持っていた数秒を
行動として発露し続けていたら、
私は人類史上最悪のクズだっただろう。
いやね。別に、
「生まれてゴメンナサイ」
みたいなことを言いたいワケじゃない。
時間軸と空間軸の縮尺を変えると、
まったく違うモノが見えてくるよね、って話で。
で、遠くを見るだけでなく、
自由自在で柔軟な縮尺こそが
視座・視野・視点を高められるなぁ、と。
自分の感情が動いた話を、
もし違う人が言っていたら?
自分が尊敬する人が言ったら?
自分が最も嫌いな人が言ったら?
最も憧れている人が言ったら?
最も侮蔑する人が言ったら?
「誰が言うかが大事」
という言葉があるけれど、それひとつだって、
解釈の縮尺を変えれば違う発見がある。
ミクロ、等身大、マクロ、数万光年、計測外の宇宙。
秒、今、数年前、数年後、前世、来世、その先。
様々な「定規」の中で、
愛を持って生きていられたらいいな、
と思う次第でありんす。
ちょい抽象的でスミマセン。
ではでは。