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「尽くすタイプです」って言う人って、尽くさないよね?

すげー、どーでもいいんだけれど、
 
「私、尽くすタイプなの」
って言ってて、尽くすタイプの人に会ったことないし、
 
「俺、聞き上手なんだよね」
って言う人で、聞き上手な人を見たことない。
 
 
「サバサバ系でさー」って人は
たいていウェッティだし、
 
「リーダーシップ!」とかよく言う人は
だいたい周りが見えてない。
 
 
「私、霊感があるの」って言う人は
鈍感があるし、
 
「気くばりができる」ってドヤ自己申告する人は
それ以上に気が散ってる。
 
 
 
この
 
「私ってさー、っていう自己申告は
 たいていその力が追い付いてない現象」
 
に名前をつけたいくわいやわ。
 
(特定の人をディスるつもりは1ミクロンもございません)
 
 
 
 
いやね。
 
 
技術的・専門分野的に蓄積していることとか、
数値で出るものに関しては、いいんだよ。
 
 
「私、数学が得意でさー」
 
とか、
 
「私、料理が得意でー」
 
とか、
 
「皮下脂肪率が7%でー」
 
とかは、いい。
 
だいたいの場合、それは合ってる。
(え?ホント?という時も、まぁあるけど)
 
 
 
 
でも、そうじゃなくて、
 
 
「本人の性格的なもの」
 
と、
 
「人間関係に関すること」
 
 
の自己評価のハズしっぷりたら、もう!
って、思わん?
 
いや、もちろんワタシ自身も含めてだぜ?
 
 
 
ってことはさ。
 
 
たぶん、「他の人から見た自分」も
そんなんじゃないのかな?????
 
 
なんて、ガクブルになったんだよね。
 
 
 
 
 
なので、基本的に
 
「自己認識している自分は、
 かなりの確率で間違っている」
 
と、思っていて、間違いないと思う。
 
 
間違ってるか間違ってないか迷ったら、
間違っていると思って間違いない。
 
(ややこしい)
 
 
 
 
なぜならば、その自己認識には
 
「そうでありたい」
 
という願望やフィルターが入っちゃているから。
 
 
そもそも、
 
「本当の本当の自分の姿」に関しては
客観的に「もう一人の自分」が見ることは
決してできない。
 
 
 
誰かのために行動している時に、
 
「うふふ、わたしってば尽くしてる☆」
 
なんて、もう一人の自分が見ている時点で、
それは「いつもの私」ではなく「レアな私」だ。
 
 
 
そんなレアな時の方が、記憶に残っているから
自己評価がどんどんズレていくのが
人間のサガ・フロンティアってぇもの。
 
 
認めたくないものだな、
自分自身の若さ故の過ちというものを、的な。

 
 
なので。
 
 
「私ってば、どんな人なんだろう?」
 
 
と、思った時には、
 
 
複数人の評価を聞いて、そのうちの
7割くらいの人が言ったことで、
うれしかったことではなく、
 
「え?」
「そんなん、普通じゃない?」
 
と思ったことが、きっと本来の姿だ。
 
 
言われてうれしかったことは、
評価する人が優しいから言ってくれたことだし、
それを聞いて「うれしい」と思う時点で
通常運転の自分ではないかもしれない。
 
 
なので、うれしいことではなく、
 
 
「なんで、みんなが口をそろえて
 そんな評価をするんだろう?」
 
「私より、もっとできている人、たくさんいるよね?」
 
 
と考えこんじゃったり、
 
 
「ががーん、、、、
 みんなには、そう見えているんだ。。。」
 
「え?え?え?え?」
 
 
と、混乱する方が、
本来の姿(の、ひとつ)である可能性が高い。
 
 
 
まぁ、聞いてみる人によっても違うだろうから、
自分をよく知りたい時には、たくさんの人に聞けばいいし。
 
 
しょんぼりしている時には、
あなたの応援団みたいな人たちだけに聞いて
 
「ドレン、私を誰だと思っている」
 
と、とりあえず勘違いを続ける方がいいだろう。笑。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
基本的に、自己評価なんて
正確に知らなくても全然困らない。
 
 
勘違いしたまま、ずっと明るく生きて行ければ
本人も周りも幸せだろう。
 
 
その上で、
 
「私の自己評価は正しい」
 
という絶対正義は、疑いを持つ時があっても
いいのかもしれないね。
 
 
 
ちなみに、ワタシ自身は
 
  
「我慢強い」
 
「ワガママではなく、人を助けることが多い」
 
 
と自己評価で思っているけど、
たぶん相当な確率で
間違っているとは認識してます。笑。
 
 
 
ではでは。
 

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