スポンサーリンク

所有という刻印

最近、大切な友人から教えてもらった考えなのだけれど、
ほとんどすべての苦しみの根源は、
 
 
「所有」
 
 
という概念からきている、とのこと。
 
 
 
つまり「私の」という、
所有する、あるいは所有したいという気持ちが、
人生の光と陰の凹凸を生み出している。
 
 
「私の」という概念がなければ、
奪われるとか、不足とか、
逆に満たされるとかもなくなる。よね?
 
 
 
分かりやすい所からいくと、
 
「私の物」
 
という所有物や、
 
「私のお金」
 
という金銭などはそうだし。
 
 
人間関係も、
 
「私の友達」
 
「私の恋人」
 
「私の家族」
 
という、「私の」が、一切抹消されたら
そこで落ち込んだりすることもない。
 
 
そして、
 
「私のプライド」
 
「私の愛」
 
さらには、
 
「私の身体」
 
「私の命」
 
というものも、「所有」概念がなくなれば、
悲しみも恐怖もなくなるだろう。
 
 
 
「所有」という概念が強くなればなるほど
執着が発生する。
 
 
私自身も、
 
「私を大切に、特別に扱って欲しい」
 
という「私の存在」ということを押し付けたことで
多くのトラブルと感情を自分から招き入れ、
人を傷つけ、自身も傷ついている。
 
 
自分の感情を波立たせているものは、
そのどこかに「所有」「私の」という
心のひっかかりがあるのではないか?と思う。
 
(少なくとも、私自身はそうだ)
 
 
 
 
じゃあ、その「所有」をすべて
手放せばいいのか?
 
 
いや、そんなん、この世から旅立てば
いつでもできるんだから、今じゃなくていい。
 
「私の」という執着が無いようにふるまう事こそ
最大のカッコつけで、執着だと思うし。
 
 
もがいて、泣いて、人を傷つけ後悔し、
分かり合えない状態で途方に暮れ、
それでも生きていく。
 
それが人間だし、今、生まれてきた意味だろう。
 
 
 
 
人は誰でも、いつでも悟れる。こと切れれば。
 
 
 
 
でも、光と闇の凹凸を味わい、
「私の」の、酸いも甘いも堪能することこそが
まさに人生なんじゃないかな、とも思う。
 
 
 
できれば人を傷つけたくないし、傷つきたくもない。
 
それは、きっとあなたも思っているだろう。
 
 
 
「分かって欲しい」
 
「大切に扱ってほしい」
 
「示してほしい」
 
その思いがぶつかったり、すれ違ったり、
スルーされたりするのが、すべてのトラブルの根だ。
 
 
大人だろうが子供だろうが、
男性だろうが女性だろうが、
どちらが恵まれていようが、
過去に何があろうがあるまいが、
どんな立場であろうがあるまいが。
 
 
「私の」は、心の奥底に深く深く刻印されている。
 
 
 
それでいいと思う。
 
そうなんだから。
 
 
 
 
ただ、その上で、できるかぎり
その「私の」と、うまく付き合っていきたいな、
とは思う。
(できてないけどね)
 
 
何も凹凸のない、まっさらな世界には、
いつか、どうせ逝く。
 
 
だから、それまでの
ほんのひとときを、
一緒にもがいていこうぜ。
 
 
ではでは。
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク