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なんで「人」の「為」で、ニセやねん?

「人の為と書いて、偽(ニセ)になるんだよ」
ってなこと、聴いたことあると思う。
 
ワタシレベルになると、
聴いたこともあるし、言われたこともある。笑。
 
 
でもさ。
 
「自分の為だけでなく、 
 相手の為を思って行動しろ」
 
とも言うやん?
 
 
どっちやねん?
どっち、やねん??
どっち、や、ねーーーーーん??
 
 
と、頭がグルングルンしましてな。
 
でも、分かったんですわ。
 
 
漢字の由来を調べてみると、
 
そもそも、「為」という字が
「手」と「象」の組み合わせから来ていて、
もともとは、
 
「象を手なずける」
 
といった意味だったそうな。
 
そこから「人がなんかする」といったことに
なったわけやな。
 
 
なので、
 
そもそも「為」っていう字には
「手」があるわけ。
 
手をさしのべていたり、
手を加えていたり。
 
そこには、人の意図がある。
 
 
なのに、そこに更に、
にんべんの「人」が入るからアカンのよ。
 
 
人が一生懸命やっているところに
 
「はい、こんにちは、僕です」
 
とやってきて、あーだこーだ言う。
 
 
ほっといたれや。という状態が「偽」なわけ。
 
 
つまり、
 
 
手→象
 
で、象に愛情を注いでいる最中に
 
 
人→(手→象)
 
 
みたいに介入すると、「偽」になるわけやな。
 
 
あるいは、誰かが手なずけた象を
自分のものにするような態度、
つまり人まねをしていると「偽」となる。
 
 
そう。
 
人がやっていることは、
そのすべてが自分の為か、人の為。
 
もう「為」だけで、誰かの為になっている。
 
 
それなのに、誰かが誰かの為にやっていることに
ひょっこりやってきて口出しをする。
 
それが「偽」なんやね。
 
 
「人の為になにかをしている」のは、いいこと。
それは「為」。
 
 
でも。
 
「人の為に何かをしている」人に、
人が横から入っていくと、それは「偽」になる。
 
 
平たく言うと、
うるせーんだよ。自分のこと、やれや!
ということなんやで。
 
 
だから、もし本当に何かをしている人の為を
思うのであれば。
 
にんべんみたいに、つかず離れずで
横っちょでウロウロするのではなく、
ガッツリと入って
 
「為り手(なりて)」
 
つまり、当事者になるのがいいんだろうね。
  
 
人が何かをしている時に、
相手が必要としていない人が「偽」。
 
ニセモノにならんような、
 
「為人(ひととなり)」
 
であろうと、気をつけたいと思います。
 
 
ではでは。
 
 

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