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出会いで人は変わらない。

…と言うと極端かもしれないけれど、
ぶっちゃけ、厳密にはそう思う。
 
 
以前、いろんな人に騙されて
人生がイヤになっていた人の相談を受けていた。
 
こちらとしては、できる限りの誠意をもって
じっくりと話を聴き、かつコントロールもしないように
本人の意思を尊重していた。
 
 
…けど、その人は私が話を聴いているそばから
 
「おいおい、明らかに近寄っちゃダメな詐欺師やん」
 
という人のコミュニティに、自ら入っていった。
 
 
まぁ、私自身の実力不足ともいえるし、
私だったら、その方を幸せにできる!なんて
おごりも特にないのだが、残念な気持ちは残る。
 
 
人はみんな、私も含めて、たぶん
 
「自分が許容できる、波動の合う人」
 
に、最終的に落ち着くのだろう。
 
 
だから、「出会い」を重ねたところで、
自分自身が変わらない限り、そう大した変化はない。
 
 
どんなに出会っても、
どんなに大切なヒントや機会をもらっても、
最終的には本人次第。
 
私自身も、そういった意味で
大きな機会を失っているかもしれないし、
誰かを残念がらせていることだってあるだろう。
 
 
 
なので、
 
最近は自戒も含めて思うのだが、
実のところ、もうみんな、出会ってると思う。
 
自分を幸せにしてくれる人にも、
 
自分を引き上げてくれる人にも、
 
自分の望む方向を見せてくれる人にも。
 
 
 
「出会い」っていう字、「出」て「会」うじゃん?
 
あるいは「出」して「会」うじゃん?
 
 
なんで会うのに、出るやねん?
とも思うのだが、実はそういうことなのかな、と。
 
 
自分がある程度
「外」の世界に「出て」いたら出会いは起こるし、
もしもっと出会いたいのなら、
今よりも、もう少しだけ「外」に「出」ればいい。
 
あるいは、もう少しだけ自分を「出して」みればいい。
 
そしてそれは、そんなに難しくない。
ちょっぴり勇気を出せばいい。
 
 
 
そして。
 
 
たぶんそこから、もっと大切なのは、
 
「会入る(あいいる)」ことなんじゃないかな?
 
と思う。造語だけどね。
 
 
 
会った人の「内」に入る。
 
自分と違う価値観だとしても、
その人が魅力的なのだとしたら、入る。
 
 
「自分が許容できるか?」
 
「自分を認めてくれるか?」
 
という基準ではなく、
 
 
「自分の波動が高まるか?」
 
「自分の明るい未来を創れるか?」
 
という基準で、入る。
 
 
 
「出」ていれば、
「出」していれば、人には会える。出会いだから。
 
そして、出会った人の中から、誰に(←最重要)
「入」るか?
 
 
表面上で「入」ったつもりじゃなく、
深く「入」る。
  
それが人生を決める。
 
 
今、まわりにいる人ではピンとこないのであれば、
もう少し「出」てみればいい。
 
でもまぁ、99%は、
もう、会ってると思うけれどね。
 
そして、その人は、
あなたが「入」ってくれるのを待っている。
 
「なんで、そっちに入んねん!?」
 
と思いながら(笑)
 
 
 
さてさて。
 
 
私が尊敬する方々の多くは、
 
「自分が助けられなかった人」
 
の苦い思い出を持っている。
 
 
もちろん、そういった方々は人間ができているので、
 
「自分のところが絶対の正解」
 
と思っている人はいない。
 
 
でも、
 
「もう少しできたのに、相手の方から去られ、
 去った人は堂々巡りをしているか、悪化してゆく」
 
という姿を見ている。
 
 
まぁ、それが縁であるのだろうし、
本人が選んだことなのだら、仕方ないっちゃー仕方ない。
 
 
結局のところ、その本人の持つ波動なのだから。
類友なのだろうから。
 
 
師弟関係も、恋人関係も、友人関係も、
仕事関係も家族もきょうだいも、
すべての人間関係に言えるんだろうけれどね。
 
 
ある程度「外」に「出」たら、きっと出会いは充分。
 
それよりも、誰の「内」に「入」るのか?
 
 
そんな「会入る(あいいる)」に視点を向けた方が
幸せには近くなるのかもしれないね。
 
 
まぁ、私自身がどこまで出来ているのかは
わからないけれど。
 
 
今、どういう関係かは別として。
 
あなたの明るい未来を創る人。
あなたの波動を高められる人。
 
すでに出会っているとしたら、それは誰ですか?
 
 
そして、
 
誰に「会入る」と、あなたは明るい未来を創れますか?
 
 
私も、よりよくなっていきたいと思います。
 
 
ではでは。
 
 

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