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今ここ、今あっちこっち。

私の師匠で気功の達人がいらっしゃるのだけれど、
 
(サラッと書いたけど、不思議な人間関係だよね。笑)
 
この方のストイックさは、ハンパない。
 
 
私の知る限りでは、世界中を探しても
この道においては誰よりも深く探究をしていて、
技も世界クラスだ。
 
(事実、海外からも師匠の稽古を受けに来る人が
 後を絶たない)
 
 
でも、2週間に一度の稽古でお会いする時には、
必ず前回会った時よりも自分の技を進化させてから
稽古をつけてくれる。
 
 
私なんかだったら、
 
「まぁ、これくらいのレベルに到達していれば
 まずますいいんじゃない?」
 
とか言って自分を甘やかしてしまいそうなものなのに、
絶対にそんなことはない。
 
 
個人的には、技術においても仕事においても、
 
「ああ、ここまで出来るようになりたいなぁ」
 
という「お手本」「追いかける背中」があって初めて頑張れる、
みたいなところがあるので、
 
 
「追いかける背中がなくて、
 どうやって探究を深めるのだろう?」
 
 
という疑問があったわけ。
 
 
 
そこで。
 
 
そのストイックさはどこからくるのか?
 
そして、自分の目標となる人物がいない中、
どうやって「もっと!」というモチベーションを
保ち続けることができるのか?
 
 
という疑問を、先日お会いした時に聞いてみたのね。
 
 
 
すると、師匠は、
  
「カッコよく言えば、純粋な探究心。
 でも、興味本位とか、好奇心に近いね」
 
と言いながら、こんな話をしてくれた。
 
 
 
「たぶん、気功という世界のことだけを考えていたら、
 壁にぶつかっていたかもしれない。
 
 今でも、壁にぶつかることはたくさんある。
 
 でも、そんな時は、あっちこっちの色んなものに触れるんだよね」
 
 
それは、美術館に行く事だったり、
 
ペットとたわむれることだったり、
 
他のスポーツを観戦したり、
 
テレビを見ることだったり(師匠はテレビ好き)、
 
 
すると、全然関係のないものから、
 
「あ!あの技は、こうしたらもっと凄いことになるぞ!」
 
と、インスピレーションをもらうのだそうだ。
 
 
ある時は、幼稚園児さんが書いた
 
「ぐるぐる」
 
のイタズラ描きから、技の発見に至ったというのだから
 
 
「ホントに気功のことばっかり考えているんだなぁ」
 
 
と、舌を巻いた。
 
 
そして、
 
 
「気功の世界で追いかける背中がなくても、
 目を横に向ければ、いくらでもすごい世界が広がっているから
 ストイックであり続けられるんじゃないかな?」
 
 
と締めくくった。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
道を極めるのは、たぶん純粋な「好き」がそうさせている。
 
 
考えて見れば、私自身も、誰からも頼まれてもいないのに
始終考えてしまっている事はある。
 
(師匠の気功ほどの情熱があるかは疑問だけれど)
 
 
 
この「好き」があるかぎり、きっと探究は止まらないんだろうね。
 
それが気功にしても、
 
文章にしても、
 
写真にしても、
 
歌にしても、
 
お金儲けにしても。
 
 
 
 
そして、その「好き」という原動力があるのであれば、
 
 
「今、ここ!」
 
 
と歯を食いしばって頑張るよりも、
あっちこっちに行ってみるのも、効果がある時もあるようだ。
 
 
つい「ここ」に集中すると、視野が狭くなってしまう事もある。
 
 
そして、さらに集中して、袋小路に入ってしまうことだって
あるかもしれない。
 
 
 
そんな時は、
 
 
「今、あっちこっち」
 
 
と考えて、まったく別のものに触れるのが
かえって打開策につながることも多いのかもしれない。
 
 
 
常に「そのこと」を考えて、
あっちこっちに心を飛ばしてみる。
 
 
そんな余裕があってもいいのかもしれないね。
 
 
 
今、小さく流行している「今ここ」の思想は
もっと深いのかもしれないけれど、それとは別に
 
 
「今、あっちこっち」
 
 
なんて考えて見るのも面白いかもしれないよね。
 
 
 
師匠、ありがとうございます。
 
 
 
ではでは。

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