私は
「テクノロジーって、人を幸せにしてるよね!」
と思っている側の人間。
なので、
技術進歩は基本的にビバ!だと思っているし、
新しい技術は、基本的に忌避するより
歓迎した方がいいという風に思っている(異論は認める)。
じゃあ、テクノロジーって、今まで
一体何をやってきたのか?
ということなのだけれど。
個人的には、大きく二つあると思っている。
ひとつは、
「人にできないことを可能にした」
こと。
そしてもうひとつが、
「才能と特権の民主化」
だ。
この二つも、実際にはかなり絡み合っている。
が、それを語り始めると、ワタシの脳みそが
「本日は閉店しました」とシャッターを下ろすので、
今回は後者の話だけ。
さて、前者の分かりやすい例は、
「人は自力では飛べないけれど、飛行機で飛べた!」
とか、
「暑い!寒い!無理!メイのバカもう知らない!
でも衣類や空調によって、いつでも快適よ☆」
とかだろう。
そして今回クローズアップしたいのは
もうひとつのテクノロジーの恩恵。
「才能や特権の民主化」の方だ。
たとえば、
「とんでもない力持ちしか動かせない!」
っていうモノであったとしても、
テコや滑車、さらにはパワーショベルなどが
それを可能にしてきた。
「喧嘩上等!オラオラぁ!」
みたいなフィジカルゴリラだけが強かった時代も
弓矢とか鉄砲とかで変わったりもした。
あとは、
「氷は限られた階級しか食べられません」
みたいのもそうだし、車のフォードなんかは
「自動車という移動手段の民主化」
を実現した。
結果として、私のような庶民であっても、
昔の大名よりも快適な空間で
病気にも飢饉にもさらされず、
日々、おいしいものを食べられている。
これは私が大名より努力したからではなく、
先達の皆様が培ってくださった
テクノロジーの進歩によるものだ。
ありがとうパイセン!
ありがとうテクノロジー!
で。
例えば蒸気機関車は
「移動と流通」という特権を民主化した。
活版印刷は
「知識」という特権を民主化した。
逆に言うと、飛脚さんなどの「足、早っ!」
という才能は、才能の民主化により価値が減った。
識字率の向上により、牧師さんなどの
後天的「才能」の価値は、相対的には平準化された。
で。AIだ。
IT革命は、さらに「知識の民主化」を促進し、
現代のAI出現は、とうとう
「アーティストという才能」
にまで触手が伸びていると言えるだろう。
楽譜が読めなくても、楽器が弾けなくても
音楽を創ることはできる。
なんなら、歌も歌う(歌わせる)こともできる。
私のように壊滅的に絵がヘタであっても、
マンガ的なイラストでも、油絵のような絵画でも
表現すること自体はできる。
待て待て、怒るなミュージシャン&画家さん。
私の得意としているであろう文章なんか、
最も脅威にさらされているんだから
このAIの台頭に関しては一番、低みの見物である。
そう。
今までは、芸術的分野においては、
長年の時間を費やし、才能を発揮しなければ
参入すらできなかった。
が、AIというテクノロジーのおかげ(せい)で、
芸術においても「才能と特権の民主化」が行われ
今後、世界の様相は、さらに変わっていくだろう。
じゃあ、そういったアーティストたちは
もうジ・エンドのお払い箱なのか?
個人的には、3割イエスで、7割ノーだと思う。
現代日本においては、
飛脚さんという働き方はなくなった。
氷屋さんも、ほとんど見ることはない。
図書館に行くよりもインターネットを見る人の方が多いし、
謎の金運ペンダントは売れ続けている。
では、だからと言って。
体力自慢の人々は絶滅したか?ノー。
逆にエクササイズ機器の発展により
マッチョメンは昔より増えたか?たぶんノー。
活版印刷やネットにより、
人の知性が不必要になったか?ノー。
逆にそれらの発展により、
めっちゃ賢い人は増えたか?本質的はたぶんノー。
という流れを鑑みると、
同じように、AIによってアーティストは不必要になるか?
という問いは、おそらくノーだろう。
また、全員がアーティストになれる土壌があるとしても、
アーティストの全体数は増えるか?というのも、
たぶんノーだと思う。
いや、全体数は増えるかもしれないが、
それを社会的に発揮できる人の総数は、そこまで変わらない。
その時の社会のニーズによって
それぞれの割合や総数に変化はあるが、
トップレベルの人がめっちゃ増えるわけじゃないし、
絶滅するわけでもない。
別に調査をしたわけでも統計を取ったわけでもないが、
昔から現代にいたるまで、
体力自慢の人は、そこまで変わっていないだろうし、
知性勝負の人も、トップレベルはそこまで変わらない。
なので、
とんでもない楽曲を創ったり、
人が感涙する歌唱力を披露したり、
心が揺さぶられる絵を描いたり、
面白すぎてレジェンドになるマンガを描いたり、
魂に響く名著、多くの人を魅了する文章を書ける人は
「ニーズにおける総数として」変わらないだろう。
そりゃあ、「アーティスト」の人数は増える。
ただ、それを受け取る人の時間は有限だ。
だから、トップを走れる人の数は、そんなに変わらない。
日曜大工器具が進化しても、
大工さんの需要はなくならないし、トップクラスは変わらない。
インターネットで意見をする人は膨大にいるけれど、
知性を光らせる人は存在し、トップクラスは変わらない。
アーティストも、きっと同じだろう。
さてさて。
とはいえ、これを個人ベースにまで落とし込むと
話が変わってくる。
トップとか、飯が食える総数は
そんなには変わらない。
が、その中での「人の入れ替え」は冷然と起きる。
その時代時代にマッチした形もあるし、
求められるものも変わってくる。
もちろん、伝統工芸的なもので
トップを走り、それを守るのであれば、
そこまで意識しなくていい(とはいえ、変わるけどね)。
なので、私たちがどの世界で生きようにも、
とんでもなく楽になることもなければ、
絶望的に詰む、ってこともない。
その上で、視座を持って、
自分と、この浮世の重なるところを見つけて
ぼちぼちとできることをやっていくのが大切なんだろうね。
まぁ、そのうち、「視座」とか「ビジョン」も
人間の才能や特権でなく、
テクノロジーが台頭してくるかもしれんが、
それは、どうやらまだみたいだから。
テクノロジーによって才能は民主化される。
でも、選ばれることまでは民主化されないから。
はぶ・あ・ぐっど・らいふ!
ではでは。
