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視野の狭い人が好む、1つの言葉。

今回、やや辛口かもしれませぬ。
 
 
さて。
 
おかげさまで、ワタクシのまわりには
様々な人がいる。
 
その中には、圧倒的に視野が広く、
視座の高い方もおられたりもする。
 
 
反面、友人たちから相談を受けたりすると
 
「え?そんなに自分都合の
 視野狭窄な人が世の中にいるの?」
 
と、開いた口がふさがらないような、
基本的にはお近づきになりたくならない人もいる。
 
まぁ、人はどんな風に生きてもいいし、
その人がどんな人であろうと、
その人なりの幸せを求め、手に入れればいいと思う。
 
 
そんな中、広い世界を見てきたり、
様々な分野や情勢にも明るい、
いわゆる「視野が広い」人はまず使わず、
 
反対に、自分だけが正しく、
テレビに向かって文句ばっかり言っているような
いわゆる「視野が狭い」人が好む言葉がある。
 
 
なので、その言葉を使った時点で、
その人の話は、特定の専門分野以外は
少し距離を置いて聞いた方がいい、
というリトマス試験紙になる。
 
 
その言葉とは、
 
「普通は」
 
だ。
 
もちろん、日常会話の中で軽く使う
「普通は」まで、いちいち目くじらを立てなくてもいい。
 
が、特に誰かを攻撃するような時に
「普通は」を使ってくる輩の視野は、モグラより狭い。
 
 
そのような方々は、
 
「これこれって、普通はこうだろう?」
「普通はこうやるもんだよ」
 
みたいに、「普通」を使ってくる。
 
じゃあ、誰がその「普通」を決めているのか?
もちろん、当人である。
 
 
世界中には、様々な生き方をしている人がいる。
 
今日使う水を汲みに行くのに半日を費やす人。
戦地に赴く人、戦地で生きる人。
大災害を受けた人。
 
「年収300万円」があこがれの人。
年収とかではもう考えず、純資産で考える人。
 
一日中エアコンの利いた部屋で働く人。
炎天下の中で働く人。
倉庫で働く人。厨房で働く人。
 
一生、誰かの敷いたレールの上で頑張る人。
一生、自分の力で切り拓く人。
 
生まれながらに恵まれている人。
生まれながらにハンデを背負っている人。
 
家族観がまったく違う文化の人。
身分や役割の考え方が強く残る文化の人。
 
 
そういった様々な環境を見れば見るほど、
 
「普通って、ない」
 
ことは明らかになってゆく。
それが普通だ(笑)
 
 
それなのに、特に人を攻撃する時に
 
「普通は、こうだろう?」
 
と言う人は、単に「普通」という
一般化した言葉を使って、
自分の価値観を押し付けているだけに過ぎない。
 
なので、視野が狭い人であればあるほど
「普通」、あるいは「常識」と言った言葉で
自分を正当化しようとする。
 
 
ちなみに、傾向としては「普通」をよく使う人は
「女性は~」とか「(国名)人は~」とか、
そういった「大きな主語」もよく使う。
 
「大きな主語」を使うと、
自分が知的に色々と見聞しているように
錯覚させることができるからだ。
 
しかし残念ながら、まったくの逆効果になる。
当たり前の話だが、そんなの人によるからだ。
 
 
自分の数少ないサンプルの中で、
全体を分かった風に物申す。
その時点で、知的ではないのだ。
 
 
さてさて。
 
始めに言った通り、人はどんな風に生きてもいいと
心から思っている。
 
なので、「普通」を言いまくる人も、
その人の見えている世界観で
幸せになればいいな、と思う。
 
 
その上で、
 
残念ながら「普通」を言いまくっている人は、
例えば定年退職をしたり、
例えばパートナーを失ったり、
例えば今までの既得権をなくしたりすると、
とたんに弱くなる。
 
人が、ついていかないことが多いし、
他の環境で「つぶし」が効かないからだ。
 
 
なので、
 
「普通」をそれだけ声高に言っているにもかかわらず、
一歩、違う環境に入ると、
その人の思っていた「普通」が通用しない。
 
「普通」を言い続けていた人ほど
普通を歩めないってのは、皮肉だな、とは思う。
 
 
あなたのまわりにもいるかもしれない。
 
「普通」を好んで使う人。
 
逆にその人から
「普通」という言葉を聞いたことがない人。
 
 
どちらも幸せでありますように。
 
ではでは。
 
 

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