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職業に貴賤はないが、各人に貴賤はある。

イグゼロ、また敵を作るってよ。
 
ってなワケで、
「愛のままに わがままに 僕は敵だけを作ってく」
といった内容を書こうと思う。
 
理由?書きたいから。
 
あと、たまには炎上しそうな橋を渡らないと
「あれ?最近、人生の彩りが不足してる…?」
と手がブルブル震えはじめるタイプだから。
 
 
さて。
 
今までワタシの記事を読んでくださっている方々は、
「エセスピリチュアリストに、まぁまぁ厳しい」
というワタクシのスタンスを知ってくださっていると思う。
 
 
なぜなら、(エセ)スピリチュアル分野というのは、
 
・実績がなくても「目覚めた!」と言った瞬間語れる。
・語った時から「自分は特別」を演出できる。
・目先の逃避の押し付けになりやすい。
・結果に責任を持っていない人が多い。
 
と(きわめて個人的に)思っているからだ。
 
 
もちろん本物の方もたくさんいる。ただ、
 
「昨日まで普通の会社員でしたが、
 今日から宇宙の真理をお伝えします」
 
みたいな超高速進化生命体を見ると、
 
「えっ、第1話から仮面ライダー
 アルティメットフォーム?」
 
と思ってしまうのである。
えらいこっちゃ展開に目が離せない。
 
なので「スピはご用心☆」と思っていたのは否めない。
 
 
しかし、これについてワタシは
少し間違っていたように思う。
 
反省しますゴメンナサイ。
 
というのも、上記の条件は、
別にスピリチュアルに限った話でもなかった。
と、気づいちゃったからだ。
 
 
たとえば、「ビジネス」。
 
この分野は、
「数字が伴わないと話せないだろう」
と思っていたのだが、実のところそうでもない。
 
 
考えてみれば、
自分で事業を起こしたことがない人でも、
ビジネス経験1年の人でも、
成果(数字とは限らない)を出してない人でも、
けっこう「自分なりのビジネス論」というのは持っている。
 
そうじゃなければ、
居酒屋で仕事帰りの方々が、
他の同僚の仕事ぶりについて、
日本代表監督のような顔で語る文化は生まれない。
 
 
「俺ならあの案件こうしてたね」
 
いや、野球中継見ながら 
「今のストライクボール、俺ならバット振っていたね」
と同じレベルぅぅー!!!!
 
そんなアナタがストライクバッター、アウッ!
 
 
…あ、ちなみに私は
「ビジネスは売上や利益がすべて」
だとは思っていない。
 
朝から仕込みをして、
激安&大盛で定食を何十年も出し続ける
店主さんを心から尊敬する。
 
来る日も来る日も、
自然と共生しながら作物を育てる
農家の方々も素敵すぎるし、
 
伝統工芸を守るために、
コツコツと頑張る方にも敬意しかない。
 
 
そういう方々こそ、ビジネスを語る資格がある。
と真剣に思っている。
 
 
その一方で逆に(逆に?)
 
「え?アナタがビジネス語っちゃう??」
 
みたいなのも散見する。
むろん、その筆頭はワタシだ、知ってる。
 
 
だからこそ、
「スピリチュアルは怪しくて、ビジネスを語る人はマシ」
というワタシのフィルターは、完全に間違っていた。
 
五体投地。
額が地表を貫通する勢いで反省する。
  
 
そう。どんな業界であっても、
 
・実績がなくても「目覚めた!」と言った瞬間語れる。
・語った時から「自分は特別」を演出できる。
・目先の逃避の押し付けになりやすい。
・結果に責任を持っていない人が多い。
 
という条件に当てはまる「エセ」は存在する。
 
 
職業に貴賤はないが、その各人に貴賤はある。
 
ここでいう「貴賤」は、
努力や才能の結晶を持っているか、
それとも「フリ」をしているか、というような意味ね。
 
 
たとえば、「カメラマン」とかも、
 
・名乗った瞬間「カメラマン」になれる。
・自分は「カメラマン」という「特別」を演出できる。
・能力以上のお金を請求することも可能。それは逃避。
・成果に責任を持っていない場合も多い。
 
にもなれる。
 
 
このカギカッコに
「コンサルタント」「モデル」「画家」など、
ありとあらゆる職業を入れることができる。
 
別に、スピリチュアルに限った話ではなかったのだ。
 
(ただ、エセが一定期間通用しやすいジャンルのひとつ、
 とは今も思っているかもしれないが)
 
 
なので結局、
各人の見極めが大切なんだなぁ、
というところに落ち着くわけだ。
 
 
職業に貴賤はないが、各人に貴賤はある。
 
 
そして、賤しいエセは悪貨となり、
良貨を駆逐し、業界全体を貶めたりもする。
 
気をつけていきたいと思うわけでありんす。
 
 

さてさて。
 
超絶辛口で書いてしまったが、

もちろん
「イグ、お前もな」
というのを自覚、痛感している。
 
 
ワタシが語るビジネス論など、
イーロン・マスク氏が聞いたら「ああ…」とも言われない。
というか、聞く前にスクロールされる。
 
長年定食屋さんを切り盛りしている大将の前で話す勇気もない。
たぶん、「兄ちゃん、まず味噌汁運んで」で終わる。
 
 
その上で。
 
物事には供給があり、需要がある。
それは普遍的な話だ。
 
だから、エセが存在すること自体は、
なくならないのだろう。
 
だからこそ、むしろ問題は、「エセがいること」ではなく、
「見極める力を放棄すること」
なのかもしれない。
 
世の中からニセモノをゼロにはできない。
「楽して稼ぎたい、認められたい」という気持ちが
なくならないし、そもそもその線引きは曖昧だからだ。
 
 
でも、自分が誰を信頼するかは選べる。
 
 
だから結局、
 
スピリチュアルを学ぶか、
ビジネスを学ぶか、
カメラを学ぶか、
AIを学ぶか、
 
そんなことよりも、
「人を見る目を養う」
方が大事だったりするのだろう。
 
 
…と、ここまで風呂敷を広げたにもかかわらず。
 
 
考えてみれば、外野から「あれはニセモノ」とか、
「こっちの方がもっといいのに…」なんて言うのも、
ヤボだな、なんてことも思う。
 
本人が幸せだと思える世界で生きるのが一番の幸せで、
誰かが押し付けた「幸せ」なんて、
はた迷惑以外の何物でもないのだから。
 
 
そして、そもそもこの記事も、
誰かから見ればエセ評論家の戯言なのだろう。
 
それも含めて、見極めていただければと。
 
 
結局、「人を見る目って」
他人を裁くためじゃなく、
自分の人生を守るためにあるのだから。
 
 
ちなみに私は、
 
「オレは人を見る目がある!」
 
と豪語して、何回も
泥水でお腹いっぱいになったことがあります☆
 
てへ、ちゃっぴー!
 
 
ではでは。
 
 

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