明日に貸す。
「イグさん、今、混乱していて
何をどうやったらいいか分かりません」
「どうなっちゃうんですか?
私はどうすればいいんですか?」
「わたし!わたし変に!変になっちゃう!
あああっ!ボワワワワーーーン!!!」
みたいに、いろいろとご質問(?)
いただくのだが。
基本、やるべき事って
緊急事態だろうが、そうじゃなかろうが
いつも変わんねぇんだ、と思う。
やるべき事は、「明日に貸す」だ。
やるべきじゃないのは「明日から借りる」だ。
どういうことか?
ここで言っている「明日」は、
日付が変わった次の日って意味じゃない。
今、あなたのまわりや
世間で起きている問題や課題。
仕事や人間関係、お金のことなど。
いろんなことが起きていると思う。
そのせいで、不安になったり
感情が波打つこともあると思う。
でも、
それはいつか収束する。
それはいつか決着がつく。
それはいつか非日常から日常になる。
それはいつか白日の下にさらされる。
それは、間違いない。
それがどんなに大きな話であれ、
いつか、その日は、やってくる。
収束、決着、日常化、白日。
それが、ここで言う「明日」だ。
そんな「明日」がやってくるのは間違いない。
だから、
「明日」が来た時に
「あの時はこうしておいてよかった」
と振り返れる今を生きる。
「明日」が来た時に、
後悔のない今を生きる。
「明日」が来た時に、
信頼が増すような今を生きる。
それだけ。
その日が来るのは間違いないのだから、
その日が来た時に誇れる自分で在る。
今、キツくても、
その「明日」に、あなたができることを提供し
「貸し」ておけばいいんよ。
「明日に貸す」。分かりにくい?
逆の例を伝えれば分かりやすいかな?
「明日から借りる」を。
例えば。
若さや美貌を売りにして
高額なお金を受け取るのは、
「明日から借りる」行為だと思う。
権力や経済力によって
人をふみにじるのは
「明日から借りる」行為だと思う。
その場しのぎの
自分都合の嘘をつくのは
「明日から借りる」行為だと思う。
不安やイライラによって
誰かに当たりちらしたりするのは
「明日から借りる」行為だと思う。
今みんなが必要としているものを
普段の数倍の値段で売るのは
「明日から借りる」行為だと思う。
借りたら、そのツケをどこかで支払う。
利子が上乗せされて。
そんな生き方も否定はしないけれど、
借りるより貸す方が、
トータルお得なんじゃないかな?
困っている人に寄り添う。
準備する。
笑いをもたらす。
ごきげんの自分のままでいる。
それは、誰か特定の人に「貸して」いるのではなく、
「明日」という大局に自分を預けていることになる。
物事が収束した時に。
「ああ、そういえばあの時は大変だったけれど
ああしておいてよかった」
「あの時はメッチャ辛かったけど
今思うと、ちょっとカッコよくね?」
と思い出せるような今を生きる。
それが良いように思う。
振り返ってみれば、
した行為がすべて正しかった訳じゃないけれど
その時の判断として悪くなかった、と思えるもの。
少なくとも、
「あれは、やめておけばよかった、、、、」
と激しく後悔するようなことは
控えめにしておくといいな、なんて思う。
いや、だってワタシの場合は、振り返った時に
「ああ、これは明日から借りてたわ」
と思えることが多すぎて、
本当にスミマセンと思う事だらけだから!!!!
、、、ってなワケで。
明日に貸せればベスト!
明日から借りなければベター!
お互い、平常心で過ごしましょうや。
だって。明日は、来るので。
ではでは。
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