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「引き寄せ」の残酷な真実。

「なりたい姿を明確にイメージすれば
 それは引き寄せることができ、実現する」
 
みたいな話ってありますやん?
けっこう古めかしい話になってきてるけれど。
 
 
たとえば、自分がお金持ちになった姿を
明確にイメージしたらお金持ちになる。
 
素敵な恋人ができたのを
詳細にイメージしたら、本当に恋人出てきた。
 
みたいなやつね。
 
 
 
で、
 
「それって、イグさんホントなん?」
 
みたいなご質問を受けることがあるのだけれど。
 
 
個人的には、
 
「嘘か本当かだったら、本当。
 ただ、語られていないこともある」
 
と思っちゃってる。
 
 
 
どういうことか?というと。
 
「それって、” 引き寄せた ” の?
 それとも、” 引き寄せられた ” の?」
 
で、未来が変わってくるってこと。
 
  
 
残酷な話なんだけれど、
 
自分が主軸となって、対象を ” 引き寄せた ” のか?
それとも自分が対象に ” 引き寄せられた ” のか?
 
動かしたの?動かされたの?
 
軸がどっちにあるのかで、
得られる結果は大きく変わるの法則である。
 
 
 
 
さて。
 
 
脳の仕組みとして、
 
「意識をしたものはアンテナを張る」
 
っていう機能がある。
 
 
例えば、スマホを買い替えようと思っていると
やたらとスマホの宣伝が増えたように感じるし、
 
ダイエット中は食べ物屋さんばかり目につくし、
トイレ行きたい時は、トイレマークを見逃さない。
 
 
なので、自分がふだんから意識をしているものが
目に飛び込んでくるのは、ぶっちゃけ当たり前である。
 
 
 
そんな中、
 
相手が「おいでおいで」しているものを
「私が引き寄せた!」とするのは、ちょい違うやん?
 
それは「引き寄せた」んじゃなくて
「引き寄せられた」わけなので。
 
 
 
いやね。いいのよ引き寄せられても。
 
 
引き寄せられた場合、
「消費の関係」になる。
 
スマホの広告に「引き寄せられた」場合は
スマホを買って幸せだ。
 
トイレに「引き寄せられた」のだったら
それはそれで九死に一生だ。
 
 
同じように、
「お金持ちになる情報」に
「引き寄せられた」場合は
その「情報」を買ったのだから、
それ以上を期待するのは酷。
 
そこから先は、自分の主体性によって
切り拓かなきゃいけない。
 
 
「魅力的な人」に「引き寄せられた」のなら、
そこから先のパートナーシップは
自らの創造性をもって育てていくことになる。
(まぁ、相手にもよるが)
 
 
真に「引き寄せる」ためには、
自分の軸を持ち、主体性という覚悟をもって
ことに当たらないと難しい。
 
 
思い返してみていただければわかると思うんだけれど、
自分が本当に心から満足したものって、
自分の「主体性」が乗っていたものだと思うんだよね。
 
 
で、私たちが真に欲しい、
心身の健康、自立した経済的豊かさ、
愛ある人間関係、生きがいのある時間
などは、すべて創造的主体性がないと入手できない。
 
(少なくとも、継続するものに関しては)
 
 
 
 
ってなワケで。
 
 
本当に心から望むものは、
自分が主体性を持って、
 
「引き寄せる」
 
方がいいと思いまするのでありんす。
 
 
自分が対象に「引き寄せられた」ものでも
幸せに過ごすことはできるけどね。
  
 
 
我欲を優先すると、たいてい
より強大な誰かに引き寄せられる。
 
 
 
「望み」と「我欲」。
 
そこに主体性があるのか?ないのか?
 
そこに愛があるのか?損得があるのか?
 
 
その違いを自分の中で見極めること。
私も気をつけたいと思いまする。
 
 
 
ではでは。
 

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