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心の「ゴミ箱を空に」。

先日、燃えないゴミの回収日だったため、
ゴミを指定袋につめていた時に、ふと気がついた。
 
「ああ、手放すって、こういうことだな」
 
と。
 
 
最近(でもないけれど)ちまたでは、
 
「手放しの法則」
 
みたいのが流行っていて、
いろんなことを手放して楽になりましょう、
といったメッセージがある。
 
 
それは大変すばらしいメッセージだと思うんだけれど、
実際に「手放し」をするのは、
けっこうな痛みを伴うんじゃないかな?と思う。
 
 
私も含めて
 
「手放したフリ」
 
をしている場合が、多いんじゃないだろうか?
 
 
 
「執着を手放しました」
 
「あの件は、もう大丈夫です」
 
 
みたいに言っている間は、
本当はまだ手放しなんてしていなくて、
 
 
「執着を手放すことに執着している」
 
 
みたいな、ヘンテコリンな状況になっていることも
多いのかもしれない。
 
 
 
たとえていうならば、
 
無理やりにその執着を「心のゴミ箱」には
放り込んだのだけれど、
いつまでもゴミ箱の中には、ある状態。
 
 
「手放した手放した」
 
と、やせ我慢はしているけれど、ついチラチラと
ゴミ箱をのぞき込んでしまっているような状態。
 
 
 
 
モノであれば、ゴミの回収日に
袋詰めにすれば、捨てられる。
 
パソコンのデータであれば、
「ゴミ箱を空に」すれば、捨てられる。
 
 
でも、「心のゴミ箱」を空にするのは
なかなかに手ごわい。
 
 
(ちなみに、モノや情報も
 「捨てたフリ」「見なかったフリ」という状態は
 蔓延しているのだろうけれど、
 今回の主旨からは外れるので、その話はまた今度)
 
 
 
「手放し」は、何かのテクニックや心理技術で
できるわけじゃない。
 
 
心理テクニックでできるのは、
 
「手放したい執着を、心のゴミ箱に入れるまで」
 
だ。
 
 
そこからさらに「ゴミ箱を空に」するまでは
手放しは完了しないし、
 
それは心理テクニックだけで完遂するには
無理があることが多い。
 
 
 
なぜ、そんなことが言い切れるのか?
 
 
なぜならば、
これだけ心理テクニックを学んできた私自身が
執着だらけだからだ(笑)
 
 
 
 
では。
 
 
どうすれば「心のゴミ箱」を空にして
執着を手放すことができるのか?
 
 
 
執着だらけの私が言っても、
ぜんぜん説得力がないけれど、おそらく、
 
 
【その愛情は無駄であることを悟り、他に愛情を注ぐ】
 
 
ということになるんじゃないかな?と思う。
 
 
まず、どんなアプローチでもいいので
執着を「心のゴミ箱」に入れてみる。
 
 
その後、辛いけれど、
 
「ああ、この愛情は、無駄なんだな」
 
と、少し離れて見てみる。
 
 
 
執着の対象への感情が、
好意であれ、怒りであれ、悲しみであれ、後悔であれ、
それは、すべてあなたの愛情から注がれ続けている。
 
 
愛情があるから、手放せていないのだからね。
 
 
ただ、その愛情は、対象にとっては
まるで意味のない、無駄なものだ、と悟ろう。
 
 
あなたが執着という名の愛情を注いでいる間、
その対象は、まるで別のことを考えて、
別のことをしている。
 
 
執着の対象が生きている人ならば、
パフェでも食べているかも知れないし、
フェイスブックでも見ているかも知れない。
 
 
それが生きている人でないのならば、
あなたとは、まったく違う次元をさまよっている。
 
 
 
逆の立場を考えてみると、
 
もしかしたら、あなた自身に対して
リアルタイムであなたに愛情を注ぎ、
執着の苦しみを持っている人もいるかもしれないけれど、
あなたは、その人のことを、今考えたりしていない。
 
それと同じことで、お互いさまだ。
  
 
 
そこを、もう悟る。
 
 
 
悟れなかったとしても、
 
「それが事実なんだろう」
 
と、頭で理解はする。辛いけど受け入れる。
 
 
 
そこから、少しずつでいいから
あなたの持っている愛情のエネルギーを他に注ぐ。
 
 
人が持っている愛情のエネルギーには、
総量ってものがあると思う。
 
もちろん、成長にしたがって増えるけれど、
現時点のエネルギー総量というものがあると思う。
 
そのエネルギーの出方が、
怒りでも悲しみでも好意でも愛でも、
総量は変わらないと思うんだよね。
  
 
なので、
 
誰かに100の怒りのエネルギーを注いでいたけど、
他の人に100の好意を注げば、怒りは削げる。
 
愛情の総量が1000だとして、
執着に100使っていたのを
別のところに愛情を注ぐようになれば、
執着は減ってゆく。
 
 
 
もちろん、そう簡単にいかないだろうし、
揺り戻しもあるだろう。
 
 
でも、
 
 
「執着している対象に注いでも完全に無駄なのだ」
 
 
と振り返り、また別の対象に愛情を注ぐ。
 
 
 
揺り戻り、また別に愛情を注ぐ。
 
 
 
そんな繰り返しの中で、
少しずつ「心のゴミ箱を空に」してゆくのが
いいのかな?なんて思う。
 
 
 
そして、
 
「心のゴミ箱を空に」
 
できたあかつきには、きっとあなたの
愛情エネルギーの総量は増え、
さらに新鮮でさわやかなエネルギーへと変わっている。
 
 
 
晴れて、そんな風になれたら
あなたは、新しい自分になることができる。
 
 
新しい、うれしいこともあるだろうし、
執着していた対象との、まったく新しい
 
「出会いなおし」
 
も、あるかもしれない。
 
(そこを期待しているとダメだろうけれど)
 
 
私たちは、
食事を食べて、新陳代謝し、いらないものを排出し
命を続けている。
 
 
私たちは、
人と出会い、愛情を注ぎ、執着と戦い手放し、
命を続けている。
 
 
排出すべきものを腸に貯めていても不健康。
 
手放すべき執着を貯めていても不健全。
 
 
 
「心のゴミ箱」と
うまく付き合っていけるようになりたいものだよね。
 
 
大丈夫。
言っているワタシ自身が、日々もがいているから(笑)
 
 
 
ではでは。

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