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大変の種。

なんでなのか分からんけれど、
大変なことが重なる時って、あるよね。
 
仕事はうまくいかないわ、
人との関係もギクシャクするわ、
やらなきゃいけないことだらけだわ、
 
みたいな時。
 
 
で、
 
「なんで私ばっかり、こんな目に合うの?」
 
みたいに、気持ちが弱ってしまったりもする。
 
そんな風に弱ってしまうのもよく分かるし、
私なんかは、弱っちゃう人の代表みたいなものだ。
 
 
でも、その上で、
 
なんで大変なことが起こるのか?
 
 
 
 
それは、
 
「本人が、変化を望んでいるから」
 
だと思う。
 
 
 
 
「大変」って、大きく変わる、と書く。
 
 
心のどこかで「変わりたい」と思っていたから、
大変なことを引き寄せたんだろう、なんて考える。
 
 
 
もちろん、
 
自分が望んだような形で、その大変さが来るとは限らない。
 
 
事故や災害みたいな形で来るかもしれないし、
 
望んでいなかった、突然の人間関係の変化みたいに
なるかもしれない。
 
 
ただ、
 
 
「変わりたい!」
 
 
という気持ちがあったから
 
 
「それなら、変えたるわ」
 
 
と、カミサマかなんかが
 
「大いなる変化」
 
として、大変をプレゼントしてくれたのかもしれない。
 
 
「そこじゃない」
 
「そうじゃない」
 
と、浅はかにも愚痴を言いたくもなるけれど、
たぶん、深いところで、一番必要な変化をするために
ベストの「大変さ」が、ワラワラやってくるのだろう。
 
 
 
そんな時、私たちが選べる道は2つ。
 
 
大変さに向き合うか?
 
大変さから目をそむけるか?
 
 
たとえば、山登りをしている最中は、
当たり前のように「大変」だ。
 
 
ただ、1歩、また1歩と足を運び、
その大変さと向き合えば、
いつかは頂上の絶景を臨むことができる。
 
 
大変だからといって、その場で座り込んでしまったら
頂上をみることはできない。
 
 
そんなシンプルな2択なんじゃないかな?
 
 
 
 
でも、
 
 
カミサマとやらは親切で、
大変さから目をそむけても、
 
「オッケー!今はそのタイミングじゃないのね」
 
と、許してくれるっぽい。
 
 
今の大変さから逃げ出しても、
真正面からぶつからなくても、
ほとんどの場合は、なんとかなってしまったりする。
 
もちろん変化という収穫もないんだけれどね。
 
 
 
 
ただ、
 
「変わりたい!」
 
と思っている限り、カミサマは何回でも、
 
 
「オッケー!じゃあ大変さをあげる」
 
「そろそろタイミングいいかな?」
 
 
と、親切に、大きく変わる機会をくれる。
 
 
何回でも、何回でも。
 
少しずつ形を変えて、でも根本は変えずに
大変さをプレゼントしてくれる。
 
本人が変わりたい、と願っている限り。
 
  
 
そして、
 
大変さに本当に真正面から向き合った時、
私たちは
 
「大きく変わる」
 
という果実を手に入れることができる。
 
 
大変さから目をそむけ、逃げたら
果実は手に入らないけど、
またタイミングを見計らって
大変さは、やってくる。
 
 
なぜなら、
 
「変わりたい」
 
と願っているから。
 
 
 
そして、大変さを乗り越えて得た果実に慣れ、
またさらに「変わりたい!」と願い出すと、
 
 
「了解。じゃあ次の大変さをあげよう」
 
 
と、また「大きく変わる」ための
「大変という名の種」を、もたらしてくれる。
 
 
そんな風に考えたりする。
 
 
 
さてさて。
  
 
今の大変さは、きっと
 
「変わりたい!」
 
という思いから生まれた種。
 
 
そんな風に思って、
大変さとポカスカやっていきたいと思います。
 
ではでは!

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