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恵まれてるのに上手くいかない人。

「世の中は不公平」なんてことは、
今さら言われなくても、分かっちょるわい。
 
 
お金持ちの家に生まれる人もいれば
ハングリー家庭に生まれる人もいる。
 
生まれつき美人・イケメン外見の人もいれば
今の時代では、そう見られない人もいる。
 
家柄などでチャンスや人脈に恵まれたり、
学歴を得やすかったり、
あるいは宝くじに当たる運を持っていたりする人もいる。
 
 
ただ、そういった「恵まれた」ものを持っているのに
幸福になれない人も、けっこういる。
 
それって、なんでなん?
ということなんだけれどさ。
 
 
つまるところ、
 
どんなに恵まれていたとしても
「それ」にあぐらをかいている人は、いつかコケる。
 
その恵まれたものを自分のものとする努力をせず、
武器としてブンブン振り回している人は見放される。
世間からも、天からも。
 
 
 
たとえば、親が一財産を築いていたり、
宝くじに当たって、お金持ちになったとする。
それはラッキーだろう。
 
しかし、そのラッキーを自分の実力だと勘違いし、
人をコントロールすることに使ったり、
自分が「特別」であると奮い続けていると、堕ちる。
 
 
与えられたお金を「守ろう」という人は、
お金を「自分を支える杖」にしがちで、
お金に体重を預けてしまう。
 
その結果、なんでもお金の話にしがちで、
人に対して虚勢を張るクセを持ってしまう。
そこに魅力があるか?というと、な?
 
どんなに「お金」という万能に近い道具だろうが、
そうやって得たお金は、本人の内から湧き出たお金ではなく、
外から与えられたお金だ。
 
本人の「もの」じゃない。
 
 
 
外見もそうだ。
生まれつきの目鼻立ちの良し悪しは、たしかにあるだろう。
 
ただ、 美女・イケメンがおしなべて幸せな
パートナーシップを築いているか?
というと、そんなことない。
 
てか、むしろ美女・イケメンの方が
「パートナーシップ」ということに関しては、
苦心している人が多い気がする。
 
小さい時から引く手あまたなので、
自分からよほど気をつけていないと、
愛を学ぶ機会を得にくいからだ。
 
なので、「美人である」「イケメンである」ということを
武器にして振り回した人は、人生中盤あたりで
出会う人のレイア―が下がるし、
美しさが衰えていくことで人が離れてゆく。
 
そりゃ、外見的美貌で立っていたのだから、当たり前だ。
 
 
「外見だけじゃなく、中身を見て!」
というセリフは、その中身が他の人以上に
充実していなければ言っちゃいけない。
 
もし仮に外見の良さ「だけ」を振り回していたのなら、
中身を磨きつづけてきた人への冒涜になる。
 
「美人は3日で飽きる」なんて言葉もあるが、
それは外見「だけ」だったら、そうなるのだろう。
 
 
 
さらに、努力ゼロとは言わないけれど、
「学歴」「家柄」「会社名」なんかも、そうなる。
 
「学力」は本人のものだが「学歴」は学校のものだ。
「人柄」は本人のものだが「家柄」は家のものだ。
「能力」は本人のものだが「会社名」は会社のものだ。
 
その他「肩書」「ポスト」「権力」。
すべて本人のものじゃない。
 
 
なのにそれらをブンブン振り回したら、
近寄ってくるのは「それ」にコンプレックスがある人か、
「それ」を利用・消費しようとする人だけになる。
 
恵まれなくなるのも、そりゃそうや、
という話なのかもしれない。
 
 
 
さてさて。
 
基本的に、そういった「自分の外」からやってきたものは
人生の中盤で、使えなくなる。
 
というよりは、その後も使うに足る人物かどうかを、
「それ」自体に試される。
 
 
だいたい、与えられたものを
そのまま「武器」として使えるのは、
せいぜい40代前半くらいまでじゃないだろうか?
 
逆に言うと、
相続財産であろうが、宝くじであろうが、
美貌であろうが、機会であろうが、
肩書であろうが権力であろうが、
 
40代後半になっても「それ」を使えているのであれば
それは自分のものになっていると言っていいのかもしれない。
(手に入れてから間もない場合は除く)
 
 
少なくとも、ある程度「大人」になってから、
「それ」目的ではなくて、
 
「あなたのことが好きだから、一緒にいたい」
 
という人が周りにいるのであれば、
あなたが恵まれている「それ」を、
充分に発揮すればいいんじゃないかな?と思う。
 
 
 
だってさ。
 
 
最ももったいないのは、
与えられた「資産」のことを敵視し、
自分のコンプレックスにしたり、戦ったりして
使わないことなんじゃないかな?
 
 
「人生は、配られたカードで勝負するしかない」
 
それは、弱いカードであっても勝負するしかないし、
強いカードが入っても、それで勝負するしかないということ。
 
 
そして、人生はそのステージによって
カードを増やすことができるものだ。
 
そして、時流によって強いカードが陳腐化し、
弱かったカードが覚醒することもある。
 
さらに、人生を重ねれば重ねるほど、
単体のカードで勝負する機会は減り、
複数のカードでコンボを組むことが求められる場面が増える。
 
どんなタイミングで、どんな組み合わせのカードを、
いくつ出すことができるか?
 
 
それなのに、いつまでもカードを増やすことなく、
どんなシチュエーションでも、
たまたま恵まれたカード1枚で行けるほど、
人生というゲームは甘くもないし、退屈でもない。
 
 
今、自分の手にあるカードをよく見つめ、
「強いけど、これは使わない」なんて決めることもなく、
恵まれなかったカードをなげくこともなく。
 
工夫して、磨き、あらたなコンボを生み出し、
人生というの名のゲームを楽しめる人が
幸せになっていける仕組みなのかもしれないね。
 
がんばろっと。
 
 
ではでは。
 

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