スポンサーリンク

人は「変わりたい」なんて思ってない。

おかげさんで、今まで少なくとも
3ケタ以上の方々に、
 
「イグさん、変わりたいです!」
 
と相談していただいてきたのだけれど。
 
 
ふりかえって考えてみると、
「変わりたいんです!」と言ってきて
「じゃあ」とこちらが提案、助言した人の中で
変わった人って、一人もいないなー、と。
 
なぜならば「変わりたい」っていう欲求って
ほとんどの場合、ウソだからだ。
 
百歩譲って「変わりたい」という
欲求や感情があったとしても
それは二次的な欲求であり感情だ。
 
 
そう。
 
欲求に直結している感情で
「変わりたい」っていうのは、
まず、起きないんじゃないかな?と実感する。
 
だから、
 
「変わりたい!」
 
といくら切実に訴えてきたとしても、
しばらくすると、こちらの提案はすべてスルーし、
もとにいた場所に帰って行ってしまう。
 
それがたとえ沈没船であったとしても。
 
 
もちろんそれを選ぶのは本人だから、
それでもいいのかな、とは思うけれど、
せっかく自分の不満に目を向けたのなら、
もう少し突っ込んでもいいかなー、とは思う。
 
 
 
じゃあ、
 
「変化した人はいなかったのか?」
 
というと、そういうワケではない。
 
 
自分の一次的な欲求と感情に気づき、
それに従って行動できた人は
アドバイスを活かせる。
 
 
じゃあ、その一時的な欲求とは何なのか?
というと、
 
【得たい】 か 【変えたい】だ。
 
 
「変わりたい」は、たぶん
その人が格好つけているウソで、本音は
 
「お金を得たい」
「愛を得たい」
「健康を得たい」
「時間を得たい」
「賞賛・承認を得たい」
「知識を得たい」
 
といったのが一次的な欲求だ。
 
 
また、
 
「人は変えられない、変えられるのは自分だけ」
 
といった言葉もあるし、それは真実なのだが、
腹に直結している欲望は
 
「あの人を変えたい」
「環境を変えたい」
「経済状況を変えたい」
「離れろ」
「振り向け」
 
といったものであると思う。
 
 
上品じゃなかろうが、真実から遠かろうが、
その「一時的な欲求」に強く強く目を向けない限り
「次」に進まない。
 
 
で、その「得たい」「変えたい」が
そのまま直で手に入れられないことが
絶望的に理解できた時、
 
 
「ああ……、変わらなきゃいけないんだな。自分が」
 
ということが細胞レベルで染み渡った時に、
人は変わることができ、その結果
「得たい」「変えたい」が叶ってゆくのだと思う。
 
 
 
なので。
 
「変わりたい」とか言っている間は、
たぶん覚悟がないから
 
「今の自分のままで、
 欲しいものだけ手に入ればいいのに」
 
「今、日々でインプットしていることも
 アウトプットしていることも変化しないで、
 時間の使い方も変えずに、幸せになりたい」
 
と、浅瀬で思っているに過ぎない。
 
 
そして残酷なことに、それが本当に絶体絶命の
危機的状況であったとしても、人は
 
「変わりたいなー」
 
と思いながら、様々な意味での
「緩慢な死」を迎えることもたくさんある。
 
 
それだけ、今の自分を変えたくないんだ。人は。
もちろん、私も含めて。
 
 
 
さてさて。
 
もし、ホントのホントに今の状況に
甘んじたくないのであれば、
 
「変わりたい」
 
とか言っている場合じゃない。
 
 
もちろん、変わるのは個人の自由だから
そのままでもいい。それを決めるのも自分だ。
 
 
でも、
 
辛い状況って、自分の欲望不足が
起こしていることも多い。
 
「得たい」「変えたい」
 
を、もっともっと尖らせて、
そこから絶望しても、なお
 
「得たい」「変えたい」
 
を貫くことができれば、やっとフォーカスが変わって
変化を起こせるようになると思う。
 
 
「辛い道」って、たぶん間違った道だ。
 
他の人から見たら「ゲゲ!大変そう!」と思われても
本人はずっと集中できる道。
 
そして、自分の「得たい」「変えたい」に直結している道が
本人の「正規ルート」だ。
だって幸せになるために生まれてきているのだから。
 
 
「変わりたい」と上品な仮面をはぎとって
「得たい」「変えたい」のエネルギーが爆発すれば
それは、やっとそうなる。
 
 
つまり、必要なのは勇気爆発だ。
 
何が得たい?何を変えたい?
そして、それは、どれくらいのエネルギー規模で?
そこからじゃないと、始まらないぜ。
  
 
ではでは。
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク