「私、何にも、とりえがなくて…」
なんて思っちゃう時があると思う。
でも、別にとりえなんてなくても幸せに生きられるし
そんな「とりえ探し」とかしなくても
ここまで毎日生きてこられたのが、もう、とりえだ。
そうそう。
たいていのことは6割でいいんだぜ?
例えばだよ?
100m走の日本記録は9.95秒らしい。
それはとても素晴らしいこと。
だけど、その記録保持者は、間違いなく毎日毎日走っていて、
ストイックに自分を律して、食事から何からすべてを
走ることのためにコントロールしているだろう。
寝ても覚めても走ることを考えていて、
少なくとも人生のある期間のすべてを
走ることに捧げている。
だから僕らが100mを走った時に、
16秒くらいかかったとしても、あるいはもっと遅くても。
まーーーったく何もしてないのに、
そんな人生を捧げている人の6割くらいの記録出せるって
もう、自分を誉めちゃってよくね?と思う。
走りに人生の1%も、なーーんも捧げてないのに、
走りに人生の100%を捧げている人の6割が出せる。
はい偉大。はいセルフ崇拝。
もちろん、これは走りだけじゃない。
料理とかできるのなら、
食べられる食事が作れるだけでもうグレート。
書道家の6割くらいの字が書けたらオッケー。
ゲームがへたっぴでも、
プロゲーマーの6割くらいの腕でバッチリ。
そこに人生を捧げている人の6割もできれば上出来。
なんなら6割以下でもいい。
そして。
もし何か、自分がちょっと興味があるものがあれば
そこから、ちょいエネルギーを注いでみればいい。
あなたが費やした時間とエネルギーで、
トッププロの61%のことができるようになったら、
たぶん「それ」に関しての日本ランキングがあったら
1,000人くらいをゴボウ抜きにしている。
62%のことができるようになったら、また1,000人。
そんな感じで進んでいけば、それが「とりえ」になる。
もちろん、トッププロを目指すのであれば
だんだんと微差が大差になってゆく。
0.01秒の差、0.1mmの差、
一手の差、ひと手間の差、
それが大差を生む世界になってゆくだろう。
ただ、私たちの日常においては、
もっとユルく見ていいと思う。
たとえば、何かをやったことがある人は
やったことがない人よりも素晴らしい。
少なく見積もっても、料理をしたことがない人は
日本人の3~4割いるだろう。
世界だと「外食するのが普通」という国もあるので、
「料理をしたことがある」というだけで
世界ランキングの真ん中より上層に入れる。
ってことはだよ?
料理を日常的にしているだけで
もうトップ30%には入るのではないかな?
そして、おそらくトッププロの65%くらいの
料理を作れるのなら、もう全世界ランキングの
上位20%は確実だきっとたぶん。
さらにあなたが「普通の人よりはちょっとできる」
ことがあと一つあったら、20%×20%でいきなりトップ4%だし、
あと2つあったら、もうトップ0.8%に入れる。
トッププロの65%のことができることが3つあったら、
その3つを合わせた世界ランキングでは0.8%に入れるんだぜ?
ああ!なんてすごいんだ!あなたは!
もっと自分を崇め奉れぃいい!!
ちなみに私はスマホゲームのパズドラはド下手だが、
やっていない人を加えたらもうトップランカーだ。
料理の腕は並だけれど、たぶんトッププロの
65%には到達している。
なので、
「パズドラができて料理も作れて
ライティングもそこそこで、
人前でしゃべれて氣功を操れる人」
ランキングだったら、かなりいい線いくと思う(笑)
すげーな!俺!ビバ俺!(笑)
さてさて。
そうやって「知ってる」「人よりは少しがんばってる」
ものをいくつか合わせたら、あなたはすでに世界ランカーだ。
少なくとも、あなたの大切な誰か。
「○○さんを愛している」ランキングは
もう、世界でも屈指のランカーになっている。
さぁ!わかったかっ!!!
いい線いってる自分に!
おもっきりセルフなでなでだ!!
ではでは!