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ご縁は川の流れのように。

今回は抽象的で、
かつ私だけの体感の話になっちゃうが。
 
 
人とのご縁って、つまるところ
まったくコントロールできないな、と思う。
 
だが、これは決してネガティブな話ではなく、
むしろ個人的には歓迎すべき話だ。
 
 
SNSで親しくなって
「いつかお会いしてみたいな」
と思っても、会えない人もたくさんいるし、
 
そうかと思うと、ひょんなことがきっかけで
長年の親友になったりもする。
 
 
今、私が仲いい人は、
 
たまたま出席したセミナーで隣の席だった人とか、
 
代理で出席した会で出会った人とか、
 
とある会合で、その時はひと言だけ交わした人とか、
 
懇親会で目の前に座った人とか、
 
たまたま一回、撮影をしてくれた人とか、
 
1回だけやった音声SNSクラブハウスで、
たまたま出会った人とか。
 
 
とまぁ、こちらから「出会おう」として会った人がいない。
まぁ、これは私だけなのかもしれないが。
 
 
いや、こちらがアプローチをして
「ご縁を作った」人も、もちろんいる。
 
が、その人との関係性は
けっこう一時的で終わってしまう場合が多い。
 
それは単に私の片想いであって、
どんなに接近はしてても、交わってない。
 
合わせて接着しているのと、
結ばれているのとでは強さが違う。
 
結ばれてないので「縁」ではないのかもしれないね。
 
 
 
そんな中、
 
ふと振り返ってみると、
ご縁って、川の流れのようなものだな、なんて思う。
 
 
会った時に、同じ「流れ」を、なんとなく感じる。
その時に感じなくても、たびたび会う。会ってしまう。
 
どちらからともなく、ごく自然と。
 
その時の自分の方向性と早さ、せせらぎ。
それが相手とフィットした時に、ご縁が始まるように思う。
 
 
なので、
 
その時の自分から見て、
「逆流」「流れが違う」ように感じる人は、
ご縁を紡ぐのが難しい。
 
方向性が明らかに違う、
自分の損得勘定が過剰に刺激される、
「作られた」感じがする。
 
そのようなご縁から自分が成長することもあるかもしれないが
その「成長」は、自分の魂にとって
本当に必要だったのかと振り返ると、そうでもなかったりする。
 
 
また、その時の自分から見て、
「停滞」しているような人も、あまり縁が長続きしない。
 
よどむような感覚、
テンポやタイミングが合わない、
話が進まない、かみ合わない。
 
これも相手がどうこうではなく。
付き合うことはできるが、縁は感じない。
 
 
また、これは私はよく勘違いしてしまうのだが、
たとえ流れる方向が同じだったとしても
「流れが速い」人とも、結局ご縁はほどけてしまう。
 
あこがれを感じる、
自分が上昇してゆく感覚、
新鮮さを覚える。
 
そのような人を追いかけても、
話を合わせようとしても、
するりと手からこぼれてしまう。
 
「学び」かもしれないが
「縁」ではないのかもしれない。
 
 
 
そして、
 
ずっと縁が続いていた人であっても、
離れてしまうこともある。
 
その時は辛いが、基本的にどうすることもできない。
 
川の水が支流で分かれてしまうようなもので、
進む道が変わったんだな、と捉えるしかない。
 
交わって、流れる。だから交流が生まれてたのだから
流れている以上、離れることもあるだろう。
 
いつかまたどこかで「合流」するかもしれないし、
いずれにしても果てでは大海で一緒になる。
 
そんな風に捉えて「元気で」と言えたらいい。
 
 
 
さてさて。
 
 
抽象的だったので、分かりにくくてスミマセン。
 
 
縁は「作ろう」と思っても難しく、
ほどけた縁は、またいつか。
 
 
なんか諸行無常みたいになっているが、
決してワタクシがおセンチになっているワケでは
ありません。笑。
 
 
どんなに出会いの場に行っても
会えない時は会えないし、
 
ただフラフラしてても、ご縁のある人には
ベストシチュエーションで会ってしまう。
 
そんなもんだ、って気がする。
 
 
 
ただ、
 
ご縁はコントロールすることはできないが、
自分を研鑽することはできる。
 
結局は「類は友を呼ぶ」なので、
その時の自分に合った人を
カミサマは引き合わせてくれているんだろう。
 
 
流れに沿って、
その流れの一部となって、
人生の川を流れていきまっしょい。
 
 
ではでは。

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