私のまわりの人は、なんかみんないい人だ。
価値ある話もタダでバンバン提供してくれるし、
道ばたで知らない人が困っていたら手を貸すし、
お金のやり取り(ワリカンとか)も、いい意味でアバウトだ。
で、あたりまえ体操なのだが、
いい人ばかりがまわりにいると、自分もハッピーだ。
ある意味「楽」というか、
緊張していないで済んで、呼吸が深くできて
とっても充実感もある。
なので、私自身も彼ら彼女らの
やさしさに甘えっぱなしにならないよう
いい人であろうとはしている。
(どこまで出来ているかは自信ないが)
いい人だって、付き合う人を選ぶ。
だから、いい人で明るく朗らかな人のまわりには
やっぱりいい人が集まってくるように思う。
なので、普通に考えて
いい人をやめない方が、ハッピーなのだ。
いやね。
「いい人をやめると楽になる」っていうフレーズも
分からなくはない。
他には「嫌われる勇気」っていうフレーズも
一定数の人に勇気を与えたことだろう。
でも、
文字通り、そのままの意味で
いい人をやめてしまったら
そこには対立が生まれてしまいやすくなるし、
嫌われる勇気よりも
嫌われないで生活環境を持続する方が
数倍、努力と勇気がいる。
実のところ、
本来、やめた方がいいのは
「いい人」ではなく「我慢」だ。
勇気を持つべきなのは
「嫌われること」にではなく
「自分の思いを真摯に伝える」ことだ。
私のまわりにいる人は
みんな、いい人だ。
が、全員、自分を押し殺すような
我慢はしていない。
我慢はしないうえで、いい人でいることは可能だ。
そこには、ちょびっとの知恵は必要かもしれんが。
私のまわりにいる人は
勇気のある人が多い。
ただ、持っている勇気は
「嫌われてもいいや!」という投げやりな勇気ではなく
嫌われないように気遣いながら、自分の意見を伝える勇気だ。
人に「NO」を伝えつつ、嫌われないことは可能だ。
そこには、ちょびっとの愛が必要かもしれんが。
「そっか!いい人をやめよう!」
という言葉を鵜呑みにしてオラつくと、
しっぺ返しをくらうことになる。
相手は人間なのだから。
「これが嫌われる勇気!」
と、相手への気遣いなく
辛辣に本音をぶつけていたら、
人は、その人のそばから去ってゆく。
勘違いした勇気を振り回す人より
勇気と愛を兼ね備えている人の方が魅力的だから。
なので。
もし、今
「もっと、いい人をやめた方が、いいのかなぁ?」
なんて思っている人がいるのならば、伝えたい。
「いい人は、やめるな。
やめるのは、我慢だ。
いい人でありつつ、我慢をやめる知恵を!」
と。
「嫌われる勇気が、必要なのかな?」
と思っているのならば、伝えたい。
「自分から嫌われなくていい。
全員に好かれることはないけれど、
あえて嫌われる言動をしなくていい。
愛を持ち続ける方が、勇気だ」
と。
さてさて。
「いい人をやめると楽になる」も
「嫌われる勇気」も、言わんとしていることは分かる。
ただ、言葉としてあまりにもキャッチ―で
「強い」ので、まる呑みにするのは危険だ。
あなたが、いい人をやめないまま
我慢を解放することはできる。
あなたは、嫌われなくても
愛があれば、言いたいことを言える。
きれいな流れのままハッピーになる方が、
あなたらしいと思うぜ。
ではでは。