先日、
「安定や定職のような形が
段々と通用しない時代となってきておりますが、
流れに乗ったり、未知のことにチャレンジする場合、
何か心の支えとしている考え方などはありますか?」
といった質問をいただいた。
つまり、
何かにチャレンジする時とか、
未知の状態になった時、
それでも前に進める原動力って?
ってなことだと思うんだけれど。
その質問を読んだ瞬間、パッと、
「失恋経験じゃね?」
なんて直感的に思った。笑。
いや、失恋じゃなくてもいいんだけれど、
自身が大きく傷ついたり、失敗した経験が
「まぁ、今までも色々とあったけれど、
なんか、やってこれているから大丈夫やろ」
という「根拠ある楽観」が、
前に進む原動力になっているように思う。
経営者さんの中にも、
大きな挫折を経験した人は多い。
人間的に素晴らしい人の中には
生死の淵をさまよった人も多い。
そして、不思議なことに、
そういった「極大ダメージ」を負った人の方が
何事にも積極的だったりするから
面白いもんだよね。
ただ。
じゃあ、だからと言って、
肉体的・精神的なダメージが大きければ
チャレンジ精神が身につくか?
というと、そうでもなく。
ダメージを負った結果、
「こんなに苦しいのなら悲しいのなら・・・
・・・・・・・・愛などいらぬ!!」
と闇堕ちしてしまったり、
ひねくれてしまう人もいる。
また、自分のダメージを回復させるために
クレクレ亡者になったり、マウンティングしたり、
認めてチャンになったり、
誰かに批判的になったりもする。
じゃあ、どないすんねん!!!?
どうしたら、
チャレンジ精神は身につくんや!?
責任者でてこいっ!!!
ということになるんだけれど、たぶん
「深いダメージを負いながら、同時に
人と、自分自身を信じる」
ってことなのかな?と。
清濁併せ呑む。
同時に併せ呑むのが大切やで。きっと。
清いものばっかりしか見ないで
ニコニコハッピーキラキラ畑にいると、
「ヒャッハー!!!
汚物は消毒だーーーー!!」
と火炎放射器を持ったモヒカンの人たちが
やってきた時、ひとたまりもない。
だからと言って、
濁ったところだけを見て、
それが世の中のすべてだと思い込んでいると、
「俺の名を言ってみろ」
と、「きさまのその耳が弟に似ている」的な
イチャモンをつけはじめるようになる。
なので。
ダメージを負いながら、
途方に暮れながら、
強烈な濁りを体内に入れながら、
同時に、
心身を休ませ、
愛に触れ笑い、
美しい未来に目を向ける。
そうすると、
今よりも強く、しなやかな自分と
未来に出会えるようになるはずだ。
さてさて。
これ、「今」の話だ。
これ、「今の私たち」の話だ。
今、
濁ったものばかり見るのか、
臭いものに蓋をして
清いものばかりだと言い張るのか、
それとも清濁併せ呑むのか?
今は、肉体的にも、精神的にも、
大いなる免疫を獲得できる時でもある。
そりゃあ、不安も感じ、実質的ピンチを被り、
悲しいこと、自信をなくすことを
目の当たりにしたりもするだろう。
でもその中で、
ゆっくりと休み、大切な人と笑い合い、
今できる事をして、未来は明るいと信じる。
自分と、人を信じる。
そうすれば最強の抗体を手に入れ、
ピンチをチャンスにできる体質になれると
信じて疑わないのでごりんす。
(ごりんす=ござんす+ありんす。
男女ともに使えるね!)
生活を意識的に大きく変える必要はない。
今のあなたは、大いなる免疫を育てている。
できること、やれることをやる。
あとは、ゆっくり休んで笑っていればいい。
それだけで、いつのまにか
テレレレッテ、テッレー!とレベルアップだ。
信じろ。信じる。それが大切。
ではでは。