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老害の鎖。

基本的に、
 
「みんな、どう生きてもいいんじゃん?」
 
「イラっと来たら、スルーすればいいんじゃないかな?」
 
と思って生きているようなワタシなんだけれど。
 
 
どうも腑に落ちないというか、
釈然としないというか、
横暴さを感じることがある。
 
 
まぁ、人間ができている方かどうか?で言えば
下から数えた方が早いワタクシなので、
いろいろと感じてしまうのだけれど。
 
 
けっこうな頻度で「は?」と思ってしまうのが、
 
「目上の人が、目下の人の行動を
 自分の利益やプライドのために制限する」
 
というもの。
 
 
 
例えば親が、自分の世間体や
常識という名のコンフォートゾーンを守るために
子どもの行動を制限する。コントロールする。
 
あるいは何らかの分野で師匠の立場である人が、
自分がやってきたことにしがみつくために
弟子の飛躍を許さない。
 
 
そんなことには、マジでもう
いやんなっちゃう。
 
 
 
いやね。
 
自分のやってきたことに
誇りを持つことは良いと思うのよ。
 
制限するのも、
子どもや弟子が道を踏み外さないように
愛情をもって留めるのならば良いと思う。
 
 
 
ただ、そうではなく、
 
「自分の利益が減るから」
 
「自分の立場が弱くなるから」
 
「嫉妬」
 
「プライド」
 
「ずっと自分の手元に置いておきたい」
 
「自分が時代遅れになったことを認めたくない」
 
などの理由で、目下の人の行動を制限したり、
コントロールするのは、もう本当にオーマイゴッド。
 
 
ひどい時は、あからさまに
邪魔したり、変な風評を立てたりするから
ジャバ・ザ・ヘイト。
 
 
愛情からではなく、恐怖からの行動は
たいてい醜いものだけれど、
その最たるもののひとつなんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
 
子どもや弟子に
「守破離」の「守」だけ徹底させて、
「破」も「離」も許さないってのは、
エゴ以外の何物でもない。
 
 
親や師匠自身が
自らに課された「離」の試練を拒否した時、
呪いは始まってしまう。
 
 
 
 
なので。
 
もし親や師匠に当たる人が、
そんな老害の、呪いの鎖で縛ろうとする人に
なり下がってしまったのであれば。
 
 
 
断ち切れ。
 
 
それは離反でなく勇気だ。
 
 
 
育ててくれた感謝は持ちつつ、
自分の人生を歩んだ方がいい。
 
断ち切ることが難しいのであれば、
できる限りそんな老害はスルーしろ。
 
イラっと来たらスルー、だ。
 
 
 
なぜならば、そんな鎖で支配しようとしている人が、
あなたの人生に責任なんて持ってくれないから。
 
あなたの人生を歩めるのは、
他ならぬあなた自身しかいないのだから。
 
あなたができる最大の恩返しは、
あなた自身が幸せになることなのだから。
 
 
 
そうだろう。
 
恩を感じていればいるほど、
その決断は難しいし、苦しいものになるだろう。
 
 
でも、
視野を広げてみてみれば、
 
 
あなたの持つ力、
あなたの魅力、
あなたの未来を待っている人が
きっとたくさんいる。
 
 
過去の鎖にしばられるより、
未来に翼を広げた方がいい。
 
 
それが、親や師匠が伝えてくれたことを
未来にもつなげることになるのだから。
 
 
 
さてさて。
 
 
私自身、どこまで自分が
「老害の鎖」を手放せているのかはわからない。
 
ただ、そんな鎖があるのならば、
しばるのは他の誰かではなく、
自分自身の「思い上がり」をしばっておきたい、
と思ってはいる。
 
もし、私が「老害の鎖」を発動していたら
忠告してくださいな。
 
 
ではでは。
 
 
 
※特定の人物や団体を批判しているワケではありません。
 これを読んで「これって、私のこと??」と思った人は
 心やさしい人なので、全然該当しません。笑。
 

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